2019年12月10日

水原紫苑の短歌世界

光線をおんがくのごと聴き分くるけものか良夜眼とぢゐる

針と針すれちがふとき幽かなるためらひありて時計のたましひ

炎天に白薔薇断つのちふかきしづけさありて刃痛めり

第一歌集『びあんか』(雁書館)より

「現実と幻想の、どちらともつかぬ、そのあはひの薄明にあそぶたましひの歌、といへるであらう。この世に生まれ出たことに対する否定のこころが、多くの歌の中に息づいてゐる。だが作者は、現実に対して歯をむき出して逆襲することはせず、薄明の境にひそんで淡い毒のある抒情歌をつくり出す。」(昭和62・9「短歌研究」)


球体に暫時宿りてあはれあはれ稚き神が毬をつくこゑ

殺してもしづかに堪ふる石たちの中へ中へと赤蜻蛉ゆけ

方舟のとほき世黒き蝙蝠傘の一人見つらむ雨の地球を

      * 

現実にあったことからインスパイアされて、詩作するのではなく、幻想という舞台上から様式によって描きだす前衛芸術としての短歌世界。自由に文字を配列される散文詩に比べると、圧倒的な緊張と創造エネルギーに満ちている。 

       *

足拍子ひたに踏みをり生きかはり死にかはりわれとなるものを踏む

かぎろへば滝つ瀬やさしみづからを滝と知りつつ砕けゆくなり

春日井建「歌人水原紫苑もまたこの滝つ瀬のようにやさしくかげろっているかに見える。しかし、彼女にとって歌うという行為はみずからをそれと知りながら砕けてゆくことにほかならない」

       *

嬰児期のあなたが月に映るやうな夜をかさねてわれはパピルス  

シャンパンを運河にそそぐおこなひのきみとし見えてわれは火の鳥

夢のきみとうつつのきみが愛しあふはつなつまひるわれは虹の輪

《不思議な「われ」の転移に対応して、一首のなかで必ず「あなた」「きみ」が詠われていることに注目したい。そしてそれらの「あなた」「きみ」は、いずれも触れ難く遥かな存在として描かれている。》穂村弘著『短歌という爆弾』小学館より

なめらかなる馬のはだへにふれしのち宇宙への旅を夢とおもはず

朱の雪をおもへり太陽系内は不死とふ人のかうべ頭抱きつつ

城壁の一部と化せしわたくしにみづ運び来る春のイコンは

『客人』では自我変容の繰り返しが作詠主体の自我を拡大しされ無限化してゆく。イメージは自律的に動き出し、万華鏡のように加速しながら変貌を遂げていくような試みがされた歌集。

天球に薔薇座あるべしかがやきにはつかおくれて匂ひはとどく

白鳥はおのれが白き墓ならむ空ゆく群れに生者死者あり

川崎賢子「水原紫苑は、ひととモノ、ひととケモノ、自己と他者との差異の消滅する境地を歌う」

みづうみ、と呼びかけしなり名をもたぬみづうみわれらを抱かむと来つ

わらふ狂女わらはぬ狂女うつくしき滝の左右に髪濡るるかも

白色尉・黒色尉の昼夜より濃き千歳が朝焼けあらむ

     *

歌集『あかるたへ』より

しじふから、すずめ、ちひさき鳥たちのいづれも空のかぎをもてりや

傘立てにあまたの傘の立てりける互(かた)みに犯さぬ荒魂もちて

歌集『えぴすとれー』は世界情勢から日常生活までの幅広いテーマについて、手紙を綴るように記した短歌746首を収録した大作で「第28回紫式部文学賞」受賞。

ちはやぶるオリンピックを返上す幻聴といふ薔薇はゆたけし

ひさかたの光病みぬる夕まぐれ六道の辻に硝子ひさがむ 

虹のいのち橋のいのちを生くるため 手弱女たをやめほろび千の壺つぼ

瀧斬らむクーデターなれ瀧斬らば三千世界石いしとならむを 

「歌において肉体を捨て、過去や未来、幻の世で知覚したものを思うままに歌うようになる」水原紫苑の世界は、蛇にも、空にも、水の夢にさえ変化して、瀧、魚、しらほね、石などが投影の対象として描かれる異世界となる。

星と月雙つの墓を求めたりわがたましひの割れゆく秋を

卵のひみつ、といへる書抱きねむりたる十二の少女に触るるなかれよ 

星々と虹はいかなる契りにてかくも妙(たへ)なる手紙交せる

「エピストレー」とはギリシア語επιστολήで、手紙(てがみ)書簡(しょかん)を意味する。 あとがきには〈歌は、存在非在のすべてに送る手紙でありたい〉とある。

「ほかの誰にも永久に共有されることがなく、肉体の死を迎えるまで報われることのない深い孤独を内包する魂の歌」

水原 紫苑  (みずはらしおん)1959年神奈川県横浜市生まれ。神奈川県立横浜翠嵐高等学校、早稲田大学大学院文学研究科仏文学専攻修士課程修了。86年「中部短歌会」に入会。以後、春日井建に師事。89年第一歌集『びあんか』により第34回現代歌人協会賞受賞。第三歌集『客人(まろうど)』で第1回駿河梅花文学賞受賞。第四歌集『くわんおん(観音)』で第10回河野愛子賞。第七歌集『あかるたへ』で山本健吉賞・若山牧水賞。17年、「極光」30首で短歌研究賞を受賞。18年、『えぴすとれー』で紫式部文学賞受賞。

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春日井建 の短歌世界

 朝鳥の啼きてα(アルファ)波天に満つうたの律呂もととのひてこよ 

天秤のかしぐか天を見てゐしにさらさらと銀河の水こぼれたり 

一瞬の燦にかなはずそののちの彼が得しやも知れぬ永き生 

前世来世見ることなからむわれなれば今をとことはとする言葉あれ 

昼かげろふゆらゆら揺るる日向にて今年も会はむ咲(えま)へる花に 


 春日井建 (かすがいけん)1938−2004 昭和後期-平成時代の歌人。昭和13年12月20日生まれ。父の春日井Oが主宰する「短歌」に作品をよせる。昭和33年発表の「未青年」50首が三島由紀夫の絶賛をうける。父没後の54年から「短歌」を継承,主宰する。ロマン性のたかい歌風で知られ,平成10年「高原抄」ほかで短歌研究賞,12年「友の書」「白雨」で迢空賞。平成16年5月22日死去。65歳。愛知県出身。南山大中退。歌集に「行け帰ることなく」「青葦」など。
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