2019年11月06日

現象界を自在に生きる

「現象界の差別と対立の相にとらわれぬ人間、つまりあたえられた現実の中に生きて、しかもその現実にとらわれぬ自在な精神の持主こそ、真に自由な人間であると考えられた」

 岸陽子『中国の思想 荘子』 徳間書店より


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「是非の別を立てて他を非難するよりは、笑ってこれを許すがよい。笑って他を許すよりは、自他の別を捨てて自然の変化に身をまかせるがよい。変化すらも忘れ去ったときこそ、あらゆる対立を超えた『道』とひとつになれるのだ。」(大宗師:目覚めた人間)」

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フィリップ・K・ディック 『ジャック・イジドアの告白』翻訳:阿部重夫(早川書房)

1950年代のカリフォルニア、古タイヤの溝彫りをして働くジャック・イジドアは、雑多な知識をただ溜め込んでいる30代の男。万引きをして捕まったジャックは、妹夫婦と同居することになる。わがままな妹フェイと暴力的な夫チャーリー。明るい太陽と乾いた大地の中、人々は誰もが精神を病んでいる。やがてジャックは、「世界が終わる」という予言を信じるようになる。ディック自身の分身であるジャックを描く自伝的小説の新訳。

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1959年に執筆され作者自身の評価では、ヒューゴ賞を受けた「高い城の男」や、「火星のタイムスリップ」に比肩できると公言している力作。


登場人物は生活がふらふらしているジャック・イジドール、その双子の妹フェイ、その夫チャーリー、若い男性ナット、その妻グウェンの5人。

彼女の言動に振り回されて破滅に向かってしまう物語。チャーリーは妻フェイを次のように語る。

「あいつはさっと行動に移す。どうすべきか、おれが見極めようとぐずぐずしているうちに、あいつはやっちまう。すかさず行動を開始するだけ。くよくよ考えない」

 眼をつけられたナットがフェイについて思う。

「一緒にいるとやたら楽しい女だ。どんな状況でも快楽を見つける。彼女は目いっぱい楽しんで生きていた。もちろん、彼女が生きているのは現在だけ。後から省みる能力はない。僕らはみんな彼女が欲するか欲しないかのどちらかに属しているんだ」


フェイの双子の兄ジャックはカルト世界になびき、世の破滅を信じ込む。鋭い洞察力に満ち溢れた潜在意識が働き、冷静に妹フェイを分析する。そんなイジドアによる一人称のパート、フェイによる一人称のパート、三人称で書かれたパートなどによって、それぞれ心情の動きなどがユーモアを交えて描かれる。


本作の原題は「Confessions of a crap artist」なので「下手な芸術家の告白」という意味で、旧訳版は「戦争が終わり、世界の終わりが始まった」となっていた。本作「ジャック・イジドアの告白」は原題に近く、電子書籍で読める。


作者の本書執筆時は舞台であるカリフォルニア州ポイントレイズで生活して、その後フェイのモデルとなった女性と結婚した。それから5年間一緒に暮らした彼女に捧げられた内容。SF小説では描けない、人間の深くある強烈な真髄に迫っている。解説に「ディック自身の分身であるジャックを描く自伝的小説」とあり、人間であることの異常さを体現するディックの「現実」を描いた小説ともいえる。

ジャーナリストで編集者でもある阿部重夫さんは、フィリップ・K・ディックの幻の処女作「市に虎声あらん」(平凡社)を翻訳している。これも数少ないデックの普通小説で、強烈な印象を与えた作品となっている。

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