2019年08月15日

日本近代短篇小説選 大正篇 (岩波文庫)

「親愛なる椎の若葉よ、君の光りの幾部分かを僕に恵め」(葛西善三)。どぎつく、ものうく、無作為ででまた超技巧的――小説の百花繚乱と咲き乱れた時代は、関東大震災とその後の混迷を迎える。
大正期に発表された、芥川竜之介・川端康成・菊池寛らの16篇を収録。(解説・解題=千葉俊二)
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【収録作品】
田村俊子「女作者」…p5(1913/大正2「新潮」、原題「遊女」)
上司小剣「鱧の皮」…p21(1914/大正3「ホトトギス」)
岡本綺堂「子供役者の死」…p55(1915/大正4『孤蝶馬場勝弥氏立候補後援現代文集』)
佐藤春夫「西班牙犬の家」…p73 (1917/大正6「星座」)
里見とん[「とん」は弓へんに「淳」のつくり]
「銀二郎の片腕」…p89(1917/大正6「新小説」)
広津和郎「師崎行」…p116(1918/大正7「新潮」)
有島武郎「小さき者へ」…p149(1918/大正7「新潮」) 
久米正雄「虎」…p169(1918/大正7「文章世界」) 
芥川竜之介「奉教人の死」…p187(1918/大正7「三田文学」) 
宇野浩二「屋根裏の法学士」…p207(1918/大正7「中学世界」)
岩野泡鳴「猫八」…p227(1918/大正7「大阪毎日新聞」) 
内田百けん「花火」…p269(1921/大正10「新小説」) 
菊池寛「入れ札」…p277(1921/大正10「中央公論」) 
川端康成「葬式の名人」…p299(1922/大正11「文藝春秋」) 
葛西善蔵「椎の若葉」…p313 (1924/大正13「改造」)
葉山嘉樹「淫売婦」…p327(1925/大正14「文芸戦線」)
[解説]…千葉俊二 

 大正が終わった翌年、大正文学の雄だった芥川龍之介と谷崎潤一郎とが、小説においてもっとも大切な要素は何かということをめぐって論争を繰りひろげた。
谷崎は「改造」の一一月号から連載をはじめた「饒舌録」で、小説がもっとも多量にもち得るのは「筋の面白さ」、いい換えれば「構造的美観」ということで、これを除外するのは「小説という形式が持つ特権を捨ててしまう」ことだと主張した。これに対して芥川は、同じ「改造」の四月号から「文芸的な、余りに文芸的な」を執筆しはじめ、「「話」らしい話のない小説」こそ通俗的要素の少ない、もっとも純粋な小説だといい、問題はその材料を生かすための「詩的精神」であるとした。
([解説]より)
しかし同年7月24日谷崎の誕生日に芥川が自殺したため論争は打ち切られる。
大正期を代表したふたりの作家がみすがらの実践を通して、小説の最も大事な核として「筋の面白さ」と「詩的精神」を抽出した。
短篇小説という形式は「筋の面白さ」とそれを生かす「詩的精神」が不可欠な要素として結合していく。
夏目漱石は「凡そ文学的内容の形式は{F+f}なることを要す。Fは焦点的印象又は観念を意味し、fはこれに附着する情緒を意味す」と記した。
あらゆる文学は「認識的要素(F)と情緒的要素(f)との結合」において現象するが、「筋」は小説の論理的思考に結びついた「認識的要素」に深くかかわって、それを生かすための「詩的精神」は、「情緒的要素」に関係する。
 日本近代小説の歴史は日露戦争後の自然主義文学によって到達点に達した。自然主義の文学や夏目漱石の活躍に刺戟されて、創作活動を再開した森鴎外は「小説というものは何をどんな風に書いても好いものだ」という断案を下した。
明治から大正期へかけての文学界は、自然主義と反自然主義が入り交じり、相互に刺戟し合いながら、小説形態が本来的にはらむ様々な可能性を追い求めて百花繚乱に咲き乱れた。

 田村俊子「女作者」は大正二年一月「新潮」に「遊女」という題で発表され、同年新潮社から刊行された『誓言』に収録されて改題された。
女性作家としての近代的プライドと書けない焦りからくる、気持ちの昂ぶりを女性的な感性を持ってのが、以下の「女作者」の冒頭にも描いている。

 この女作者の頭脳のなかは、今までに乏しい力をさんざ絞りだし絞りだししてきた残りの滓でいっぱいになっていて、もうどうこの袋を揉み絞っても、肉の付いた一と言も出てこなければ血の匂いのする半句も食みでてこない。暮れに押詰まってからの頼まれものを弄くりまわし持ち扱いきって、そうして毎日机の前に坐っては、原稿紙の枡のなかに麻の葉を拵えたり立枠を描いたりしていたずら書きばかりしている。
 女作者が火鉢をわきに置いてきちんと坐っている座敷は二階の四畳半である。窓の外に掻きむしるような荒っぽい風の吹きすさむ日もあるけれども、どうかすると張りのない艶のない呆やけたような日射しが払えば消えそうに搦々と、開けた障子の外から覗きこんでいるような眠っぽい日もある。そんな時の空の色は何か一と色交ざったような不透明な底の透かない光りを持ってはいるけれども、さも、冬という権威の前にすっかり赤裸になってうずくまっている森の大きな立木の不態さを微笑しているように、やんわりと静に膨らんで晴れている。そうしてこの空をじっと見詰めている女作者の顔の上にも明るい微笑の影を降りかけてくれる。女作者にはそうした時の空模様がどことなく自分の好きな大の微笑に似ているように思われるのであった。利口そうな円らの眼の睦毛に、ついぞ冷嘲の影を漂わした事のない、優しい寛潤な男の微笑みに似ているように思われてくるのであった。
 女作者は思いがけなく懐しいものについと袖を取られたような心持で、目を見張ってその微笑の口許にいっぱいに自分の心を脚ませていると、おのずと女作者の胸のなかには自分の好きな大に対するある感じがおしろい刷毛が皮膚にさわるような柔らかな刺戟でまつわってくる。その感じは丁度白絹に襲なった青磁色の小口がほんのりと流れているような、品の好いすっきりした古めかしい匂いを含んだ好いた感じなのである。そうするとこの女作者は出来るだけその感覚を浮気なおもちゃにしようとして、じっと眼を瞑ってその瞳子の底に好きな人の面影を摘んで入れて見たり、掌の上にのせて引きのばして見たり、握りしめて見たり、さもなければ今日の空のなかにそのおもかげを投げ込んで、向うに立たせて思いっきり眺めて見たりする。こんな事でなおさら原稿紙の枡のなかに文字を一つずつ埋める事が億劫になってくるのであった。
(田村俊子「女作者」より)

 現在では女性の小説家というのもあたりまえで、むしろ新人作家などでは圧倒的な多数を占めているけれど、当時にあってはまだめずらしく、世間の耳目をひく存在だった。そうした時代に主人公みずから「女作者」と名乗ることは、自分の才能を誇示しながら、世間に向かって自己の存在を際だたせることになる。だから、ことさらに「どうしても書かなければならないものが、どうしても書けない書けないという焦れた日にも、この女作者はお粧りをしている」と、自己の性である女ということを正面切って強調する。
 またこの作品は、昭和期になってよく書かれることになる、小説の書けない小説家風の形式をとっている。大正期の作品としてはその点が非常に新鮮だけれど、これは意識してのことではなく、原稿締め切りギリギリのところで、いわば捨て鉢的に筆が執られたものと思われる。が、この構えることのない、裸の姿をさらけだしたところにこの小説の異様なリアリティが醸しだされる。夫と取っ組みあいの喧嘩をしている最中にも「この女作者の頭のうちに、自分の身も肉もこの亭主の小指の先きに揉み解される瞬間のある閃めきがついと走った」と、女の身内に存する「肉というもの」を生々しくとらえているところなどは時代を越えた新しさがある。
([解説]より)

 小説とは本来、人々のあいだに言い伝えられた「街談巷語」「道聴塗説」に類するものだった。
本書収録作品のなかで最も原初的な、こうした小説の古層に属する形態をとどめるのが、「又聞の話」の受け売りだという岡本綺堂の「子供役者の死」だろう。この作品はパラメーターaの作者の体験としての値はゼロで、しかも人生の裏も表も知りっくした話巧者の老人がとっておきの面白いお話を語って聞かせるとでもいった趣があり、私小説的要素の皆無な「筋の面白さ」で読ませる小説の典型となっている。

 話巧者といえば、上司小剣の「鱧の皮」も唸らされるほど巧い作品だ。発表と同時に田山花袋など多くの評者から絶讃されたが、これも「街談巷語」の類たることは間違いない。後年、その作囚について「ああした女の手一つで、母子が心を合せて、生存競争の激しい渦巻の中に闘っている、その結果が、ずに作にも一鰐の皮」のようなヽ肉のない皮だけのものと云うような風になって表れている。
其処のところを、刳り取ったようにして書き表し度いと思った」(「『鱧の皮』を書いた用意」)と語っている。
[子供役者の死]にしてもこの「賠の皮」にしても、小説本来のという意味からすれば最も小説らしい小説である。そこに描かれた人間社会の不思議さ、人間心理の不可解さといったものを、作者はその背後から成熟した大人の目をもってやさしくジッと凝視している。
 
 私小説的要素の皆無な「街談巷語」ということでは、芥川龍之介の「奉教人の死」も同じだろう。ただこちらは非常に近代的で、尖鋭な芸術至上主義的な美意識に貫かれた作品である。「二」の部分で物語の典拠とされた「れげんだ・おうれあ」というキリシタン文献に言及するが、これは作者によって仮構されたフィクションである。その偽書を握造しか芥川の虚構は、これを実在するものと信じた内田魯庵が芥川に内覧を申し込んだという有名なエピソードがあるほどで(内田魯庵「れげんだ・おうれあ」)、天草本平家物語の文体を模したその文体ともども完璧な出来映えである。
  志賀直哉が「沓掛に---芥川君のこと」で、「主人公が死んで見たら実は女たったという事を何故最初から読者に知らせて置かなかったか」、そうした「仕舞いで背負投げを食わすやり方」に不満をもらしたことはよく知られている。
だが、「なべて人の世を、効果的に語るためにはどうしてもあらかじめ真相を明かすことはできなかったろう。
 はじめから種明かししてしまっては、その「感動」を読者に伝えることができなかったからだが、そのために彫心鎗骨の文体と極めて技巧的な構成という語りの技法を必要としたのである。文体と構成の妙ということでは「子供役者の死」も同じだが、「奉教人の死」はひとつの技法のきわみに達したということができる。
(中略) 
 里見淳「銀二郎の片腕」は「―こういう話を聞いた―」と書き出されるように、「子供役者の死」と同様に聞き書きの体裁をとっている。その意味ではこれも「街談巷語」の類だが、これはなかなか一筋縄でゆかない。というのも、誰もがこの物語世界へ容易に感情移入することができるという代物ではないからだ。変人と思われるような一風変わったところのある、過度に潔癖な、牧場に住みこむ銀二郎という牧夫が、我にもあらず寡婦の女主人を強く愛するようになったが故に、その女主人のつく嘘を許すことができない。
 女主人がとうとうと語る世俗的な嘘を聞いて、相手を殺すことでしか鎮めることができない
「己の身内に焔々と燃えあがるもの」を感じた銀二郎は、女主人を切る代わりにみずから詑で自分の片腕を切り落としてしまう。
 ここに描かれた事柄はきわめて特殊な事例である。世間にはめったにあるものではないが、決してないとも言いきれないような事例だ。ちょうど精神分析学において異常な症例が一般人の心理を照らし出すように、この主人公の異常なふるまいをとおして読者としての私たち、あるいは作者のうちに潜められた、過剰で、激越な感情の所在を確認させられる。「子供役者の死」の血糊まみれの女の姿にしろ、ドサッと落ちたこの血まみれの片腕にしろ、読者はドキッとさせられるけれど、圧倒的な印象をもって迫ってくる。常識的にはなかなか理解の困難な複雑怪奇な感情の力学を、語りの「芸」によって描くところに里見の作家的野心があったのだろう。
 
 久米正雄の「虎」と岩野泡鳴の「猫八」はいずれも芸人の悲哀をユーモラスに描いたものである。
「動物役者という異名」を取った新派の三枚目役者を描いた前者は、江戸屋猫八(初代)の視点から描かれる後者において「或文士たちの研究会」で話題とされ、いわば作中批評される。
「座談半ばに荒川君が電車で一緒になったからと云って、彼の動物の啼き声で有名な猫八君を連れて来た」とあり、これが六月一五日に開かれた六月例会だったことが分かる。
 このときの月評会には島崎藤村「新生」、徳田秋声「威嚇」、宮地嘉六「赤靴」、菊池寛「大島の出来る話」とともに
久米の「虎」も取りあげられたようだ。「創作月評会記事」では「虎」について、「矢張り菊地氏と同様、多少の浅薄さはあるが可成りに纏っていると云うことであった」とあっさり触れられているだけである。が、泡鳴は「虎」のモチーフと動物の声帯模写を生業としている猫八との類比に多大な興味をもったようで、それがこの一篇に結晶している。猫八は「虎」に描かれた主人公を「まるで自分の事をいわれているようであった」と受けとめるが、ここに文学享受の原点があるといってもいいだろう。両作品はあわせ読むことで、それぞれ共鳴し合い面白さが倍増する。

 佐藤春夫の「西班牙犬の家」、内田百間の「花火」はともに散文詩といってもいいような詩的な小説。
前者は退屈な日常を脱して、いつしか幻想空間へさ迷いだし、一時的にせよこの現実の憂鬱を忘れさせ、「夢見心地」にさせてくれるような小篇である。私小説的要素をもった最も詩に近い小説ということができよう。これに対して「花火」は私小説から最も遠く離れたところに書かれた詩的な小説である。同じ幻想的であっても「西班牙犬の家」が夢見心地に誘うのに対して、これは女の妬心をシンボリックに描いて背筋のゾッとする、読むものの心を凍りつかせるような小品である。
(中略)
 私小説という用語の生みの親たる栄誉を担う宇野浩二の「屋根裏の法学士」は、三人称の客観小説をよそおっているが、その主人公の中身はほとんど作者自身(細部はだいぶ変更され、誇張されているけれど)という私小説である。主人公は「独特の誇大妄想」をともなう「夢の世界」のなかに生きているけれど、この世に処してゆくために必要な「根気」と「勇気」と「常識」とを欠いており、何もかもつまらなく、味気なく感ずる。先の「甘き世の話」にしてもそうなのだが、宇野の作品はこうした夢と現実とに引き裂かれた主人公を描いて、決してかなえられない理想(夢)と現実とのギャップを延々と繰りひろげつづける。

 理想と現実のあいだに引き裂かれて思い悩むインテリ青年。まさに二葉亭が「浮雲」において描いたところのもので、「想」と「実」との対立軸は、明治二十年代の日本の近代文学の黎明期に没理想論争、人生相渉論争などで争点となったものだ。近代文学において最も大きい、中核的なテーマである。ややもすれば文学史の継子扱いされる私小説も、決してこの系譜から外れるものではない。私小説と称せられるほとんどの作品の根底には、自己の理想をかなえることができず、現在自分が置かれている境遇とその理想とのあいだの大きなギャップにうちひしがれて、この現実にあくせく生きざるを得ないおのれの姿を自己正当化しているといっても過言ではない。
 その典型的な作品が、広津和郎の「師崎行」である。自分の犯した過ちであるにかかわらず、はなはだわがまま勝手にその自分の置かれている困難な状況からの脱出を願う。(中略)自分の行動規範とそれによってもたらされた結果についての判断規範がまったくパラパラという意味では、たしかに「性格破産者」という評言がピッタリだ。しかし、「私」の心が絶えず「最良の解決法」を摸索しながら、「その時その時の間に合わせ」の行動しかとれないというところに、やはり「想」と「実」の相克がひそんでいるともいえる。

  葛西善蔵は広津と同人誌「奇蹟」に参加して掲載した「悪魔」には、「俺達はどん底に落込んで初めて最貴最高の生命を呼吸することが出来」、「一切を否定し一切を破壊してこそ初めて真の絶対境に到達することが出来る」という文学観を披渥している。
「一物の不純なもの」もまじらない、「真の絶対境」の探究のためには、一切の社会的規範や束縛をのがれ、何ものにも拘束されない絶対的自由を希求せざるを得ない。その探究の果てに、「椎の若葉」の冒頭−「六月半ば、梅雨晴れの午前の光りを浴びている椎の若葉の趣を、ありかたくしみじみと眺めやった」という一文にいたりついたのだろう。
 「椎の若葉」に描かれた生活は常人には理解しがたい。ここにはもう破れかぶれのメチャクチャな生活しかない。まったく「本能というものの前には、ひとたまりもないのだ」と思わせるほど、もはやどんな弁明もどんな言い訳も通じないような、作者の生活と心持ちには「不自然な醜さ」が満ちている。自然のもたらす同じ力であっても、人間の本能は醜く不自然で汚らわしいけれど、その対比において植物の生長をうながす生命力は光り輝かしく、すがすがしい力に充ちている。
「我輩の葉は最早朽ちかけているのだが、親愛なる椎の若葉よ、君の光りの幾部分かを僕に恵め」という敬虔な祈りにも似た結びの一文は、破滅型の生涯をもって購った珠玉の一片である。
(中略)
 川端康成の「葬式の名人」は震災前の作品であるが、「私には少年の頃から自分の家も家庭もない」という冒頭の一文には、自己に課せられた孤児としての宿命に真正面から向きあい、その宿命を生き抜こうとする決意がうかがわれる。いわばゼロからの出発である。祖父の死後、「ただ1人になったという寄辺なさ」を感じたというけれど、それは震災後の日本人、いや第一次世界大戦後の欧州の知識人たちによっても共有された感情だったはずである。その後、川端は文芸時評家として誰よりも震災後の新しい文学的傾向に鋭敏に反応し、誰よりも前衛的な実験小説を書きつづけてゅくことになる。

 葉山嘉樹の「淫売婦」は、「種蒔く人」のあとをうけて本格的なプロレタリア文学運動の拠点として創刊された「文芸戦線」に掲載された。執筆は震災前であったが、「セメント樽の中の手紙」とともに葉山を一気にプロレタリア文学の最前線へと押しだした作品である。しかし、それにしても「被搾取階級の一切の運命を象徴しているように見えた」という、病気に冒されて瀕死の、全裸で横たわる若い娼婦の悲惨のきわみともいうべき姿の描写は凄まじい。
「セメント樽の中の手紙」では、破砕器に巻き込まれた恋人が骨も肉も魂も粉々になり、セメントになってしまうが、葉山作品に描きだされる身体(肉体)の物質的破壊は凄惨であり、徹底的である。

 こうした肉体に加えられる暴力的な解体の力学は、戦争あるいは大災害によってもたらされるカタストロフィに似ている。震災後に葉山の文学がもてはやされた理由のひとつだったかも知れないが、震災後に解体されたのは物質的な身体ばかりではなかった。
 夢の世界の住人であった宇野浩二は発狂し、ガラス細工のように繊細な技巧をもって危ういバランスのうえにその芸術世界を築きあげた芥川竜之介は自殺し、自己の芸術の絶対境を探究しつづけた葛西善蔵は身も心もボロボロのままに病歿した。たしかにひとつの時代の終焉を実感させるけれど、「淫売婦」の悲惨のきわみにも新たな連帯への意識が芽ばえたように、震災後の混迷のさなかにも次の時代への新たな胎動は間違いなく用意されていたのである。
([解説]より)

千葉 俊二(1947年12月 - )日本近代文学の研究者。早稲田大学教育学部名誉教授。
宮城県生まれ、横浜で育つ。1972年早稲田大学第一文学部人文専攻卒業、同大学院修了。
山梨英和短期大学助教授をへて、早大教授。2018年定年となり、名誉教授。主として谷崎潤一郎を研究。
posted by koinu at 14:04| 東京 ☁| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする