2019年07月31日

インドで虎が増えている

インドでトラが増えている。保護活動のかいあって、4年前に比べると3割以上増加。3000頭近くに上っている。

ナレンドラ・モディ首相は29日、2014年に2226頭だったインド国内のトラが、2018年には2967頭に増えたと発表した。

また、同国が「トラにとって最大かつ最も安全な生息地の1つ」だと述べた。


現在、世界中のトラの約7割が、同国内に生息しているとみられている。


森を歩き回って調査

インドは4年ごとにトラの生息数を調査している。森林管理の当局者や科学者たちは長い時間、苦労して50万平方キロメートルの広大な範囲を歩き回り、トラが生息している証拠を集める。

モディ氏は29日、「発表されたばかりのトラ生息調査の結果は、インド国民全員と自然を愛する人全員を幸せにするだろう」とツイートした。

https://twitter.com/PMOIndia/status/1155694808519680000

また、「9年前、トラ生息数を2022年に倍にする目標がサンクトペテルブルクで設定された。我々はその目標を4年早く達成した」と続けた。

法律と保護区を整備

ある推計によると、1875年から1925年の間だけで、インドで約8万頭のトラの命が奪われた。賞金目当てやスポーツとしての狩猟が広がり、皇帝や側近たちが銃や槍(やり)、網、わな、毒を使って、何千頭ものトラを殺した。

posted by koinu at 12:17| 東京 ☀| 報道 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月30日

アニメ「ざんねんないきもの事典」Eテレ

さまざまないきものたちの意外かつユーモラスな姿を
気鋭のクリエーターたちがショートアニメで描く「ざんねんないきもの事典」。

Eテレでは今年夏休みにも2週にわたって新作シリーズを放送



声優の玄田哲章さんと日のり子さんが声の出演
新作8本の放送は下記の通り(再放送もあり)
【アニメ「ざんねんないきもの事典」Eテレ】
@7月29日(月) 午前9:30−9:35 午後9:55−10:00
A7月30日(火) 午前9:30−9:35 午後9:55−10:00
B7月31日(水) 午前9:30−9:35 午後9:55−10:00
C8月 1日(木) 午前9:30−9:35 午後9:55−10:00
D8月 2日(金) 午前9:30−9:35
E8月 5日(月) 午前9:30−9:35
F8月 6日(火) 午前9:30−9:35
G8月 7日(水) 午前9:30−9:35


posted by koinu at 14:02| 東京 ☀| TV | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月29日

暑中お見舞い申し上げます

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シャーベットで涼みまーす。
posted by koinu at 23:06| 東京 ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

『首飾り』モーパッサン

 その女というのは男好きのしそうなちょっと見奇麗な娘であった。このような娘は折々運命なにかの間違いであまりかんばしくない家庭に生まれてくるものである。無論、持参金というようなものもなく、希望など兎の毛でついた程もなかった。まして金のある上流の紳士から眼をつけられて愛せられ、求婚されるというようなことは夢にもありはしない。とかくして、彼女はある官庁の小役人の処に嫁ゆくこととなった。

 華美はでに衣飾ることなど出来ようはずがない。で彼女は仕方なく質素な服装みなりをしていた。けれど心中は常時いつも不愉快で、自分がまさに行くべき位置ところに行くことも出来ず、みすみす栄ない日々の生活を送らなければならないのかと真から身の不幸せを歎いていた。成程女は氏なくして玉の輿という、生来の美しさ、優やかさ、艶すこやかさ、それらがやがて地位なり、財産というものなのだ。それを他にしてなにがなる? それさえあれば下町の娘も高貴の令嬢もあまり変わりはない――道理もっともなことである。

 彼女は自分が充分に栄誉栄華をする資格に生まれてきたと念うと、熟々今の生涯が嫌になる、彼女は一日もそれを思い煩わぬ日とてはなかった。住居の見すぼらしさ、壁は剥げている、椅子は壊れかかっている、窓掛けは汚れくさっている、このようなことは彼女と同じ境遇にいる女のあまり気にも留めなかったことであろう。けれど彼女はもうちょっとしたことにも気をエラエラさして、我れと我が身を苦しめていた。しかし、時にはプレトン辺りの農夫の妻が骨身を惜まず真っ黒になって働いている光景ありさまなどを思い浮かべて、自分が果敢ない空想の徒なことを恥ずかしくも浅ましいことに思わないでもなかった。けれどそれもしばし、彼女はやがてまた元の夢に返った。静かな玄関の座敷、周囲には東洋で製作できた炎えたつような美しい帷張とばりがかかっている。高い青銅ブロンズで出来た燭台が置かれてある、室内は暖炉の温か味で程よくなっている、傍の肱掛け椅子には逞ましい馬丁風の男が二人睡っている。と思うと古代の絹かなにかで飾りたてられた美術室、如何程価のするか解らないような種々の珍奇の骨董品やら、書画の類が巧を尽して列べられてある、さらに居間に入れば価高い香料がプンと鼻を突いて心を酔わせる。このような処で夕暮れに親しい朋友ほうゆうや交際場裡に誰知らぬもののない若い紳士などを集めて、くさぐさの物語に時の移りゆくを忘れたら、如何ように楽しいことであろうかと彼女はたえずこのような幻の影を追うていた。


 買ってから三日も経ったかと思われる新しいテーブル掛けのかかった食卓に夫と相対さしむかいで座わる。夫はスープの皿をひきよせて、さも嬉しそうに「如何だ、この皿は今まで買った中では如何しても一番だ。ねえ、お前はどう思うね?」とたずねる。彼女はピカピカする銀製の食器、古代の人物や美しい花鳥の図の縫い取りがしてある掛け毛氈のことを夢みていた。そして、ほんのり赤味を帯びた鱒の照焼きや鶉の料理に舌鼓をうたせながら謎のような眼つきをして、自分に媚る若い男の囁きに耳を傾けていたらばなどと、例の空想をほしいままにしながら夫の言葉など上の空できき流していた。

 彼女は衣服きものも満足なのは持っていなかった。その他宝石頸えり飾りの類、およそ彼女がこの世の中に欲しいと思うような身の周囲まわりの化装品は一つとして彼女のままにはならなかった。彼女は実際それらのものを衣飾に為してこの世に生まれてきたのだと考えていたのだ。如何かして世の中の人を羨ましてやりたい。男を迷わしてやりたい。そうして、自分は何時も男につき纏われてみたいと、このようなことのみ思い続けていた。


 彼女には幼い頃から親しくしていた学校朋輩がある。しかし、その友人というのはかなりな財産家の娘なので、初めの内こそ二、三度訪ねてみたこともあったが、それは余計に自分を苦しませる種なので、それなり交わりを絶ってしまった。今ではその友の顔をみるさえはなはだしい苦痛なのである。


 ある晩のことであった。夫はいつになくイソイソとして帰ってきた。閾を跨ぐや否や彼女に一個の封筒を指し示しながら、

「そら、お前にいいものをあげよう」

彼女は荒々しく封筒を剥して、中から印刷された一枚の紙を取り出した。それは夜会の招待状なのである。

「来る一月十八日月曜夕刻より官宅において舞踏大会相催し候ついては貴殿並びに御令閨にも万障御繰り合わせの上御出席の栄を得度右および御案内候也」

 宛名は二人の名前になっている。そして麗々と官長夫妻の署名がしてある。

 喜ぶと意おもいの外、彼女はその招待状を食卓の上に投げつけた。そして、如何にも蔑すんだ様子を面にあらわして、

「貴郎あなた、そんなものを私に見せて一体如何しろとおっしゃるんですの」と唸いた。

「お前がさぞ喜ぶことだろうと思ったからさ。この頃お前も滅多に外出でたことがないし、丁度いい機会おりだと思うがね、招待状を貰うにはこれでも一通りや二通りの苦心じゃあなかったのさ。同僚の者など誰一人行きたがらぬものはないが、これを貰ったのはごく少数わずかの人なので、たかが属官風情の私などが出席できるというのは、殆ど異例といってもよい位なものさ。とにかく官界の連中が総出というのだそうだからねえ」

 彼女は焦燥そうな眼つきをして、

「貴郎は一体私に何を着せて下さるおつもりです?」

 夫は左様なことには一向気がつかなかったのだ。妻からこうたずねられたのでちょっとまごついて、

「芝居に行くときの服装なりでいいじゃないか、あれはお前に大変よく似合よ」

 こういうて妻の方を視た。みると彼女は鳴咽ている。涙が頬を伝って流れている。夫は吃りながら、

「ど、どうした、オイ、どうした?」

 彼女はせきくる涙を無理にとどめて、頬を拭いながらわざと声を落ち着けて、

「何でもありません。衣物がないばかり、それで如何して夜会なぞにまいれましょう。お仲間の方の奥さんが私より、ズートお召のよいのを持っていらっしゃる方があるでしょう、左様そういう方に進上あげたらいいでしょう――なにも……」

 夫は失忘した。が気をとりなおして、

「まあ、機嫌をなおして、私のいうことも聞いてもらわなくっては困るね。夜会に行く服装というのは一体どの位で出来るものかね、せいぜい安く積もって、え?」

 彼女はしばし思案にくれていた。自分の夫のような働きのない気の小さい人に衣物の価値を話したら、さぞ驚くことであろう。よい返事をせぬにきまっていると心では思いながら、如何にも躊躇したように答えた。

「精確しっかりとは存知ませんが、四百フランも御座いましたら、どうかなるでござんしょう」

 夫は少しく青くなった。彼は翌年の夏あたり同僚とナンテルの方面に銃猟に行くつもりで、そのためにかねて銃を買うつもりで貯えた金が四百フランばかりあるのだ。

 夫は思い切ったという調子で、

「よし、それならお前に四百フラン遣るから、好きな衣服を買ってくるがいい」

 夜会の日が近づいた。が、彼女は如何したものか沈み勝ちで、何かたえず心配しているようにみえた。服装なりもチャント、準備ととのったのである。夫は不思議にたえない。で、ある晩に彼女にたずねた。

「如何した、この二、三日おまえの様子が如何もへんだよ。また、なにか心配なことでもあるのかね?」

「衣服はこれでよいとしても、飾りになる宝石が一ツだってある訳ではないし、私いっそ、もう夜会に参ることはよしましょう」

「それなら、花でもつけてゆくさ、時節柄キットよく似合うよ。なに、十フランもあれば見事な薔薇が買えらあね」

「嫌ですよ、立派な貴婦人かたがたの前に出て、貧乏くさく見える位恥ずかしいことはありませんからね」

 彼女は中々承知しない。

 夫はなにごとか思いついたらしく、

「お前も余程馬鹿だねえ。それ、お前の親友のフオレスチャ夫人ねえ、あの人の処へ行けば飾り位如何かなりそうなものだねえ、え?」

「真実に如何したらいいでしょう。私、今までちっとも気がつかなかったわ」

 さも嬉しそうに彼女は叫んだ。

 翌日、彼女は早速親友の処をたずねて、事情を話した。

 フオレスチャ夫人は殊の外同情して、破璃戸の填っている戸棚から大きな宝石の函をとり出してロイゼルの前に開いた。

「さあ、どれでもお気に召したのを」

 彼女はまず腕環をみた。それから真珠の頸飾り、ヴェネシアの十字架、その外精巧を尽くした金銀宝石の種々の飾りを一々手にとってみた。そして、鏡の前へ立って、それを身体の彼処此処あちこちへつけて眺めまわした。これかそれかと定めかねてしばし躊躇した。

「もうこの他に御座いませんか?」と口癖のようにいいながら、

「いいえ、ないことも御座いませんが、如何いうのが全体お好きなのやら」と夫人は曖昧な返事をする。

 彼女はとうとう黒い箱の中に入っているすばらしいダイヤモンドの頸飾りを見つけだした。彼女がそれを手にした時はさすがに動気が激しくなって、手さえふるえていた。そして、頸にかけて鏡に向かった時は自分の姿につくづくと見惣みとれて、あまりの嬉しさに言葉も出なかった。何も彼も打ち忘れて、が、如何にも心苦しそうに、

「こればかりでよろしいのですが、如何でしょう」

「ええ、よろしゅう御座いますとも」と案外の返辞。彼女は嬉しまぎれに思わず友の頸にかじりついた。左様して数多度熱い接吻キッスをして、後生大事と宝を抱えながら帰った。

 夜会の日が近づいてきた。ロイゼル夫人は意外な成効を博し得た。日頃の希望が達せられたのだ。胸に満ちている喜びがあふれて打ち狂える様は、実にすべての人の注目する処となった。実際、彼女は他の貴婦人連よりも遥かに優美でもあり濃艶でもあり、また一種魅するが如き力は彼女の一挙一動に供うたのである。満場の視線は等しく彼女に集められた。名前は至る処でたずねられ、交際を求むる者がひきも切らず、当夜の主人公さえ彼女に話し掛けた位であった。

 彼女は物狂おしきまで舞り狂うた。自分の美しさにすべてを打ち忘れ、勝誇った色をあくまで面に顕わした。あらゆる称賛、あらゆる栄誉を一身に担うというて、これ程女の浅薄な心を満足させるものがまたとあろうか。

 彼女は翌朝四時頃ようやく舞踏室を出た。夫は二、三の紳士と寂しい玄関の一室に眠ねながら待っていた。その紳士の妻君達も彼女と同じように快楽に耽けっていたのである。

 夫は家から持ってきた外套を彼女の背中にかけてやった。それが夜会の服装と相対して如何にも見窄しくみえたのである。彼女は温かい毛皮の外套に身を纏つつんだ婦人に見られるのを嫌うて、それを着なかった。

 ロイゼルは妻を止めて、

「オイ、それでは風邪をひく、今馬車を呼んでくるからちょっと待っておいで」

 親切な夫の言葉には少しも耳をかさず、彼女はスタスタと階段を下りて戸外へ出た。ロイゼルは仕方なく後について、間もなく二人は一諸になって馬車を探し始めた。ようやく一台見つけたので遠くからその馬車を呼んだ。二人は寒いので震えながらセイヌを側うて下って行った。辛うじて彼らは一台の馬車に追いついた。その馬車というのは二人乗りのノクタンブランで、以前にはよく白昼でも巴里の街中を歩いたものだが、今では夜にならなければ決して見られぬものなのである。

 やがて馬車はルー・デ・マアラルまできた。二人はそこで下車おりて家路に急いだ。彼女の希望はもうまったく消え失せた。夫の方は午前の十時になるとまたコツコツと役所に出かけなければならぬのかと、つくづく単調な日々の生活を今さら思いやった。

 彼女は外套を脱ぐとすぐ鏡の前に彳立たって、美しい姿に自らを満足させようとした。鏡を見るや否や彼女はにわかに叫んだ。それも道理、彼女の頸には如何したものか今迄かけていたと思うた頸飾りが、何時の間にか失なっていたのである!

「如何した?」

 彼女は眼の色を変えて夫の方に振り向いた。

「私、あの、わ、私あの頸飾りを失なしました」

「なに!――え?――そんなことが!」

 夫は気も転倒して立あがった。

 衣物の襞、さては外套の衣兜かくし、至る処手を尽して探した。けれど見つからない。

「確かに夜会の席へ置き忘れてきたに違いない、そうだろう」

 こう夫は落胆しながらたずねた。

「ハイ、なんでも広間ホールの入口に置いたような心持ちもいたします」

「もし帰る途中で落としたとすれば、落ちた音がしなければならないはず。ヒョットしたら馬車の中じゃあないか?」

「ハイ、多分――あの馬車の番号を覚えておいでですか」

「否いいえ、お前も覚えておりはすまい?」

「ハイ」

 二人は互いに顔を見合わせてしばし呆然としていた。呆然としていたって仕方がない。ロイゼルは今しがた脱ぎ棄てた衣物をまたひっかけた。

「私は今帰ってきた道をすっかり探してこよう。あるいは見つからないものとは限るまい」

 で、彼は出かけた。彼女は夜会の服装で力なさそうに椅子によりかかった。胸の中は種々雑多な想いが乱れに乱れ、頭の中は火のようにほてっていた。

 夫は七時頃ようやく戻ってきた。彼はなんにもみつけなかったのだ。

 警察に訴える、新聞に広告をする、馬車会社に行く――このようなことが僅かな望を繋いだ。

 彼女は終日この恐ろしい災難をとやかく思い煩うて、恐ろしさにうちわなないていた。

 ロイゼルは青褪めたキョトンとした顔つきをして夜遅く帰ってきた。無論、頸飾りはめっからなかったのである。

「オイ、お前はとにかく、友人の処へ手紙をやったらどうか、頸飾りの釦金かけがねが壊れたから直しにやってあるとでも書いて、――え、その内には如何にか工夫のたつまいものでもない」

 彼女の頭は錯乱して、手紙の文句をも考えることも出来ぬ。夫がいうがままに彼女は半ば無意識にその言葉を紙に写した。

 その週の終わりには二人ともまったく絶望して仕舞った。

 彼女に五ツ年上のロイゼルは先口を開いた。

「如何にかしてあの飾りを返さなければならない」

 で、翌日飾りの入っていた箱を持って宝玉たま屋に行った。幸い宝玉屋の名が箱に記してあったので――宝玉屋は帳面を色々と繰ってみた。

「その飾りをお売り申したのは私の店ではございません、箱だけは慥かにお誂え申した覚えが御座いますが!」

 こう宝玉屋は無雑作に答えた。

 それから二人はおよそ巴里中にある、ありとあらゆる宝玉屋の店頭みせさきに行立たった。失なした飾りに類似の品を求めて歩いた。身体は綿の如く疲れきって、胸はいうべからざる苦悶を以てみたされた。

 探し廻った甲斐があって、二人はパライ・ローヤル街のある宝玉屋の店にようやくにかようたダイヤモンドの頸飾りを見つけだした。その価は四万フランであるとのことである。ようやく三万六千フランまで値切った。二人は宝玉屋に低頭平身して事情を打ちあけた。そして、三日間の猶予を乞うた。のみならずもし失なった飾りが二月の末までに見つかったなら三万四千フランで買い戻してもらうという約束までした。

 それから彼は知っている限りの人々を訪ねて、ここから千フラン、あそこから五百フラン、という具合に都合をして歩いた。それでも未だ間に合わぬので高利貸しの処にまでも出かけていった。そして、すべての債主に一々証書を入れた。もう如何することも出来ぬ、恐ろしくって将来のことを考える勇気もない。まったく彼はそのために一生を犠牲にして仕舞ったのである。くるべき暗黒の光景は漸時に彼が前に展かれた。あらゆる肉体の困苦欠乏、精神の煩悶痒苦これらは如何に彼を苦しめたのであろう。彼は約束の期日に宝玉屋に行って三万六千フランを支払って新しい頸飾りを買った。

 ロイゼル夫人はその頸飾りを携へてフオレスチャ夫人の処に返済すべくでかけた。フオレスチャ夫人は冷やかな態度を示しながら、

「もう少し早く返して頂きたかったですよ、これでもチョイチョイ入用なことがありますからね」

 夫人は函を開きもしなかった。それを彼女は内々恐れていたのである。もしそれが換え玉であるとしれたら如何しよう、如何弁解したらよいだろう? キット自分を悪人と思うに相違ない。このような思いがロイゼルの心の中を往来していたのである。

 彼女は今頃貧というものの辛さをしみじみと心に味わった。けれど今となってはいたし方がない。ともすれば沈み勝な心をとりなおして、我れと我身を奮ましながら、恐ろしい負債を是非とも消却しなければならぬと考えた。まず下婢に暇をやって、今までの住居すまいを引き払って下層な下町の物置部屋のような一室を借りることにした。

 彼女は初めて労働の苦痛を知り始めた。そして、面倒な台所仕事を不慣れな手つきでやり始めた。ほんのりと桃色をした柔らかな指先で脂ぎった茶碗や皿を洗った。汚れたリンネルのシャツ、テーブル掛け、布巾その他色々なものを洗濯して、それを一々竿にかけて干す。水はというと、勾配の急な坂の下まで汲みに行かなければならない。彼女は坂の途中で幾度となく休んでようやく水をくんでくるのである。彼女はまた長屋の連中と一緒に笊を小脇に抱えて、八百屋や果物屋や肉屋などに出かけて行く。そして、僅かばかりの銭のために色々と押し問答などして、物価の安そうな処をみつけて歩くようになった。

 月の終わりになると証書の書き換えをしたり、いい訳をしたり、それは中々の大役であった。

 夫は夜になると商売人の帳簿の写しを内職にやった。その外一頁五銭程にしか当たらぬ写字を夜の更けるまでやった。

 このような生活がざっと十年程継続した。

 十年の終わりに二人はヤット元利合わせてすっかりの負債を消却することが出来た。

 ロイゼル夫人は年をとった。見るから面やつれのした世話女房になった――骨が固くなった。手足はあれて皮が剛ばった。縺れた頭をして、胸のあたりをたばけ、真っ赤な手で洗濯の水をザブザブとあたりに跳ねかしながら、彼女は大声で長屋の連中と話をするようになった。けれど時には夫の留守などに窓側へよりかかって、自分が一生に一番美しかったあの夜の光景ありさまを思い浮かべて果敢ない追憶に耽けることもある。

 あの頸飾りさえ失なさなかったら、今頃は如何になっているだろう? ああ誰か解るものか? 世の中というものは奇妙なものだ、変遷うつりかわりの烈しいものだ! あのようなささいな物から、自分たちの運命が如何にも存在されるのだ!

 ある日曜のことであった。彼女は一週の疲労つかれを癒するためシャンゼ・リゼイの方へ散歩に出かけた。その時フト小児こどもを連れている女に逢った。それは忘れもせぬフオレスチャ夫人で、依然として若く美しく口元に微笑さえ湛えていた。

 ロイゼルはなんとなく心を動かされた。今はもうまったく負債を消却した暁である、今までのことを打ち明けても差し支えはあるまい、そうだ、こう思いながら彼女は昔の友人の傍に立った。

「御機嫌よう」とまず言葉を掛けた。

 一方の友人はこの見なれぬ粗末な服装の女にさも慣々しく言葉をかけられたので、一方ならず吃驚びっくりしてあわてながら、

「あなたは!――私一向に存知ませんが、もしや人違いでは御座いませんか」

「否、私はあのロイゼルでございますよ、お見忘れですか?」

「オヤ、あなたが――あのマシルドさん、まあ大層御様子がお変わりになったこと! 一体如何なすったのです」

「ハイ、今まで私も随分と色々な苦労をいたしましたよ。これもそれも、あのいつぞやお宅に拝措物に上がったのが原因もとなので――つまりあなたのためなので」

「私のためですって! それはまた如何して」

「あなたはあの夜会の時、私にお借下さったダイヤモンドの頸飾りを記憶おぼえていらっしゃいましょう?」

「ハイ、よく覚えております。それで?」

「実は、あれを私が失なしましたので」

「何ですって、あなたは自分で宅までお持ちになったじゃありませんか?」

「ハイ、それはよく似た代りのを差し上げたので。私共はそれを買いますのにそれはそれは大変な借財をいたしまして、ようやく十年という長い月日をかけて、ようやくそれを返済することが出来ましたので、無一物の私たちの身に取りまして、如何の位辛うどざいましたか、少しはお察しを願います」

 フオレスチャ夫人はちょっと黙した、がやがて、

「それなら、あの、あなたは代りにダイヤモンドの頸飾りを買って返して下さったのですね」

「ハイ、それなら、あなたは今までそれをお気づきなさらなかったのですか、もっとも大層よく似ておりましたから」

 で、彼女の傲り気は一種の無耶気な様子を示して微笑んだ。

 フオレスチャ夫人は真底から動かされてロイゼルの両手をしっかりと握った。

「あ、あ、お気の毒な、マシルドさん! 私のあれは人造で、せいぜい五百フラン位なものだったのですよ!」



「頸飾り」モウパンサン・辻潤訳

初出:「実験教育指針」教育指針社 1908(明治41)年9月

posted by koinu at 10:12| 東京 ☀| 本棚 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年07月28日

「ペンギンタロット」の世界へ・・・」

◆タロットカードは不可思議なシンボルが描かれて、これらキーワードを繋ぎ合わせることでタロットは世界の側面を照らし出すとことができる。漠然とした無意識の断片が、元型のイメージとしてのカードによって具現化され、その人固有の無意識の形を喚起させる。
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◆非合理的なシンボルやイメージこそが、無意識の世界を解く鍵。 
◆無意識の領域に存在して無意識に人を動かす全人類に共通する心理パターン。このパターンが自然界にもあったことを符合させた図形こそタロット。 無意識の中にあるものを喚起させ、導き出されたキー  ワードを解釈することでその人だけに当てはまるパターンがある。
◆“シンクロニシティ(共時性)”という無意識の領域にあるものと現実の世界に起こることには一種のアナロジーが存在し、人が偶然として片付ける出来事も、すべては無意識の中にある原因により必然的に起きている。
◆自分の無意識を知ることで、これから自分の身に起こることや、未来に起こる出来事を予測することができる。
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◆タロットは普遍な無意識を発掘する道具であり、その無意識を意識化する手段として、占い師が相談者の未来を予測する際に行うカード解釈は、まさしく医師が患者に質問を出して、その内容から医学的に解釈し、患者の精神状態を推測しながらカウセリングを行う心理学の手法そのものです。
◆大アルカナ22枚組・解説書付   
◇Amazonにて「ペンギンタロット」を限定販売中。シリアルナンバー入り。残部僅か。
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「ペンギンタロット」の世界へ・・・」  http://koinu.cside.com/
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ペンギンタロットの原画
兆しを理解して現実なるものを深くたのしく感知する訓練カードです。タロットを機能させるには慣れ親しむことからはじまります。まだ目には見えていない物事や潜在的な事柄を導き出す道具でもあります。 各アイコンをクリックすると、21のカードが観れます。
http://zerogahou.cocolog-nifty.com/photos/peintora22/index.html
【ペンギンタロット解説】人間の精神は神的なものである。しかしそれは物理的な身体に幽閉されており、かれはその神性に気づかない(愚者)。
http://koinu.cside.com/NewFiles/penguintora.html
この解説ページは2019年7月中に解約されます。
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Ed Sheeran 映画ファンにはたまらない『No.6 Collaborations Project』

『No.6 Collaborations Project』Ed Sheeran
Justin Bieber、Bruno Mars、EMINEMらアーティスト22人が参加した
ニュー・アルバム『No.6 Collaborations Project』世界54ヶ国のiTunesアルバムチャート1位を記録。


 
数々の名作映画のシーンをオマージュしたもので、Ed SheeranとTravis Scottが様々な役になる。映画"キル・ビル"から、骸骨メイク"デイ・オブ・ザ・デッド"、"マスク"、"アメリカン・ハッスル"のシーンでは女装もした。
Travisは"シザーハンズ"のジョニー・デップ役に扮して、"スナッチ"シーンではEdはブラッド・ピット役に。"パルプ・フィクション"のオマージュで幕を閉じるこのビデオ、アルフレッド・ヒッチコックの"鳥"など他にも多くの映画のシーンをオマージュしている。本格俳優デビューが発表されるなど、多方面で活躍しているEd Sheeran。映画ファンにはたまらない。


Ed Sheeran / Remember the Name (feat. Eminem and 50 Cent)

Ed Sheeran / Take Me Back to London (feat. Stormzy)
https://www.youtube.com/watch?v=MMYIkTlNH68
 
アーティストを様々フューチャリングした、凄まじいアルバムとなっている。
ストリート時代からやっている音楽的な姿勢が貫かれている作品。『No.6 Collaborations Project』Ed Sheeran
https://www.youtube.com/watch?v=mj0XInqZMHY&list=PLgaFNC_I_ZknKAhWkOwakjgBwg48II9rE
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超訳ゲーテの言葉

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人類永遠の宝となる優れた文学作品を数多く残した、18〜19世紀の大作家であり、哲学者であるゲーテ。本書では、そんなゲーテの珠玉の名言の中から、とくに日本人の心に響く言葉を厳選して超訳。取り上げた言葉はすべて、本書のためにドイツ語原文から新たに訳し直したものです。人間への深い愛と、世の中に対する鋭い洞察力から生み出された叡智にあふれる言葉は、今なお新しく、心が疲れ、人生に迷うことが多い現代人を力強く励ましてくれます。生きる力と知恵を授けてくれる座右の書。

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「本文より、言葉の一部を紹介」自分の感覚を信じる 朝、考えることが1日を決める 行動と結果を楽しむ 友人を騙すぐらいなら騙されるほうがまし 他人の悪口を言うことは、自分を不幸にする 懸命に生きれば、必ず何かを残せる いつでも憧れの気持ちをもとう 結婚は、人として成熟するチャンス 賢さとは思慮深さである。


第1章 自分自身に関する言葉<br/>第2章 人間に関する言葉<br/>第3章 世界に関する言葉<br/>第4章 人間関係に関する言葉<br/>第5章 心に関する言葉<br/>第6章 人生に関する言葉<br/>第7章 幸せに関する言葉<br/>第8章 仕事に関する言葉<br/>第9章 知性に関する言葉<br/>第10章 愛に関する言葉

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【本書から】

「種まきは収穫ほど難しくない何かを始めることと、何かの成果を上げることは、別の話だ。」

「人は役立つ人間しか評価しない。だからその評価を喜ぶのは自分を道具とみなすこと」


「いわゆる「名言」とは当時使われた意味がわからないため、自分勝手な意味を盛り込んで使っているだけ」


「人は自分と自分より高いレベルの人と暮らすと劣等感を感じ、低いレベルの人と暮らすと物足りなくなり、同じレベルの人と暮らすと自己嫌悪に陥る」


「大事なことは、すぐれた意志をもっているかどうか、そしてそれを成就するだけの技能と忍耐力をもっているかどうかだよ」


「占いを馬鹿にしてはいけない。占いはこの世の「眼に見えない真実」を推し量る技術」


「装飾品は、本当の自分を隠すことはできても、変えることはできない」


「人は役立つ人間しか評価しない。だから、他人の評価を喜ぶのは、自分で自分を道具扱いすること」


愚かな人間には、次の三つの型がある。一つは「高慢な男」、もう一つは「恋に狂った娘」、そして、最後の一つは「嫉妬に駆られた女」


「人間は、いつも忙しくて騒がしい人間たちの中でこそ、何かを創り出せる。その騒がしさが創造のヒントになり、きっかけになり、エネルギーになり、参考になる」


「美しい虹でも、15分も消えずに空に架かっていたら、誰も見上げ続けようとはしない。感動とは、短命なもの」


「その時々の流行や風潮に合わせるだけの生き方だと、人生はあっという間に過ぎてしまう。人生をじっくり味わいたいなら、もっと根本的な人の世の仕組みや約束事を学ぶこと」


人は結局「最高の自分になること」が唯一の目的だ。「他人とそっくりになること」や「世間の求める姿になること」などは、人生の本当の意味ではない


「本当に完成したものなら、時が経っても変わらない。全くそのままの姿で、後の世に伝わっていく」


「誰からも反論されない意見は、中身が空っぽの言葉の羅列に過ぎない」


「気高い人物は、気高い人物を引き寄せる。気高い人物は、気高い人物を尊敬するから」


 仕事に関する言葉、若者がする最大の誤解『若者は、老人の仕事を引き継ぐことを嫌う。そうしてしまうと、まるで自分が「老人の模倣者」になり下がり、心まで老人に支配されたかのように、感じてしまうからだろう。けれどそれは、若者最大の誤解に過ぎない。老人が若者に託すのは、その若者ならそれを立派に「当人の仕事」にしてくれるーと、見込んでいるからである。』[芸術と古典]


良い笑いは、人生の清涼剤である。けれど愚かな笑いは、しばしば悪質なな笑いを喜ぶ。それは「笑うべきではないことを笑う」ということだ。他人の不幸、他人の失敗、他人の弱さを笑うのだ。[親和力] 


知性に関する言葉、三つの大切なこと『高貴であれ。親切であれ。善良であれ。』[神性]


金森 誠也, 長尾 剛の「超訳 ゲーテ の言葉」より。

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2019年07月27日

「水木サンの人生は80%がゲーテです」

水木しげる『ゲゲゲのゲーテ』 (双葉新書)水木プロダクション

水木サンが最後に伝えてくれたのは、 
人生を幸せに生き抜く智慧の詰まった、 珠玉の言葉の数々でした――。 
「水木サンの人生は80%がゲーテです」と自ら語るように、 10代で出会い、死線を彷徨った戦場にも密かに携え、 暗唱できるほど繰り返し読んだ『ゲーテとの対話』。 
ドイツの文豪・ゲーテが創作、社会、仕事、そして人生について語った、 名言、格言、箴言の中から、水木サン自身が選んだ言葉93篇を収録。 
体の隅々まで沁み込んだゲーテの思想を、ユーモアを織り込みながら、 “ゲゲゲ流"にわかりやすく解きほぐす。 
さらに、インタビューや過去の執筆原稿を交えながら、 水木サンが敬愛した賢者の“人生の杖"となる言葉を贈ります。 
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水木さんは『ゲーテとの対話』を愛読して好きな言葉を三つ掲げている。
「意志の力で成功しない時は好機の到来を待つほかない」
「人は努力している間は迷うにきまったものである」
「自分自身を知るのは楽しんでいる時か悩んでいる時だけだ」

貧乏生活を経験してきた水木さんは、漫画家として成功した後も、贅沢なライフスタイルとは無縁。お腹いっぱい食べられて、寝ることができたら幸せ、という価値観を崩さなかった。
「怠け者になりなさい」「けんかはよせ 腹が減るぞ」など、独自の哲学から生まれた名言も数多い。

【水木さん語録】
他人を自分に同調させようなどと望むのは、そもそも馬鹿げた話だよ
「駄目な奴は、もちろんいつまでたっても駄目だ。小才しかない人間は、古代の偉大な精神に毎日接したところで、少しも大きくはならないだろう」

(南伸坊・書評)
編者の手柄と私が言うのはココです。ゲーテの言葉があり、そこに水木さんのコトバが並んでいる。こんな具合です。

才能があるというだけでは、十分とはいえない。利口になるには、それ以上のものが必要なのだ――ゲーテ

机に向かってるだけじゃダメなんだナ。楽しいことをやっているうちにクソがたまるようにアイデアもたまるんです。利口になるには、他人が捨ててしまったようなことやバカバカしいことにも詳しくなくちゃいかんのです――水木しげる
(水木さんは倒れる前まで本書に取り組んでいて、完成するのを楽しみにしていたという)

【関連図書】
『ゲーテとの対話』エッカーマン(岩波文庫)
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画家パメラ・コールマン・スミス

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ライダー・ウエイト版タロットを作画した画家だが、タロットの世界で彼女は何年もの間ずっと舞台裏で尽力した人物扱いされて、光を当てられなかった。出版社の名ライダー社と1888年に設立されたヘルメス結社「黄金の夜明け」団員A.E.ウエイトの名にタロットカードはされている。


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2019年07月26日

宇井無愁『きつね馬』ユーモア小説

(アルス ユーモア文學選書)昭和二十一年八月三十日發行。

表題作のほか五つの短篇『お狸さん』『太った犬』『救世主降誕』『約束』『お孃さん大賣出し』を収録、令和元年にはないユーモアのセンスが溢れている。作者名「宇井無愁」は「うい・むしゅう」と読み、「Oui、monsieur ・ウィ、ムシュー」とは人をくったペンネームである。

成瀬巳喜男監督した『旅役者』の原作者である。その『旅役者』は表題作の『きつね馬』を脚色した喜劇映画。『きつね馬』は『オール讀物』(昭和十四年五月号)に掲載され、第九回直木賞候補となる。

他の短編『お孃さん大賣出し』の主人公は「商大出身の秀才で、傳統的な船場商法を打破して、率先『科學的經營法』を斷行した、罐詰界の新人である」。


殊に當今は宣傳の世の中、宣傳費を惜しむのはつまらないことだ。(p.144)

商品の宣傳にも心理的階梯をつけた。

一.商品の存在を認識せしめる。

二.商品の効用、價値を會得せしめる。

三.その効用・價値が他品を凌駕するものである點を覺らしめる。

四.そこで一歩を進めて、この品が唯一無上であると思ひこませる。(p.145)


…というノウハウにもとづいて長女を「賣出し」、彼女のお婿さん探しに必死になっている。ときおり作者が顔を出すというのもおもしろい。


[さてこれから先は、いろんな人がいろんな形式で小説に書いてゐるやうな段取りに運び、やがてめでたしめでたしになると思つて差支へなささうだから、お目出度い話はこれで「終(をはり)」にしよう。](p.158)


『約束』「作者附記」

げに「事實は小説よりも奇なり」と謂ふべきであらう。茲(ここ)に到つてわれらごとき淺才の戲作者は、事實の前にたゞ忸怩として、つひに筆を擲(なげう)つのほかはないのである。(p.112)


宇井無愁  1909−1992 昭和時代の小説家。
明治42年3月10日大阪生まれ。大阪新聞記者などをつとめる。昭和13年「ねずみ娘」でサンデー毎日大衆文芸賞。15年「きつね馬」が第1回ユーモア賞を受賞,以後ユーモア小説作家の道をあゆむ。平成4年10月19日死去。83歳。

本名は宮本鉱一郎。

著作「日本人の笑い」「落語のふるさと」「ジェット娘」「ヌードのお嬢さん」「パチンコ人生」「生きるってすばらしい (8) 語ること演ずること 」「生活の中の笑い―現代に生きる江戸小咄」などがある。

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古川ロッパ昭和日記〈戦前篇〉抄

日本の喜劇俳優の古川ロッパ(1903年 - 1961年)が記した日記。放送作家、滝大作の監修で1987年に晶文社発行。


世の中が中々むづかしいのは、
悧巧者が居過ぎるからなら有がたいが、
実は馬鹿が多く居過ぎるためだからやりきれない。
八月二十日ふと思ふ

昭和十五年一月

一月二十二日(月曜)

 三時半から内幸町高千穂ビルのユニヴァーサル試写室で、腹話術のチャーリー・マッカシイの映画「あきれたサーカス」、まことにつまらない。たゞ腹話術の人形がよく出来てゐることだけ感心した。近くの有喜村天ぷら屋へ堀井と行く。座へ。大入満員、補助出切り。「新婚」の第一声で、すっかり鼻声なのでクサった。徳山来る。ハネると車へ乗せ、送り、まっすぐ帰宅。今夜エノケン夫妻が見物してゐた由。(井上正夫も見物してたと。)



一月二十三日(火曜)

 十二時に日本橋の偕楽園へ、川口・上森・菊田と僕の、例会。川口・上森は一時間もおくれて来る。偕楽園の料理が、今日のはパッとしなかった。座へ出る。大満員。鼻声だが昨日より楽だ。三月東宝劇場へ出ないかと本社から言って来る。一考も二考も要するので保留する。ハネると赤坂まへ川へ。今夜は、曽我廼家五郎・エノケンと僕三人の親子会。榎本と僕、五郎氏の来る迄飲まずに待つ、十一時近く迄おあづけ。その長かったこと。都から写真班来り撮る。五郎の話、僕の話の間に酔ったエノケンは対抗上体術を見せてたが、しまひに泣き出してしまった。(後記エノケン近頃泣き上戸の由)

 エノケンは、酔った揚句に、僕は映画専門にやる、もうじきに舞台はやめる、と言って泣き出した。五郎氏がヅバリと、「脚本が無いからだろ」と言ふと、うなづいてゐた。昨夜僕の芝居を見て、「兵隊では泣いたよ」と言った後で、此うなったのだから、何だか偶然でないやうな気がして、可哀さうな姿に見えた。エノケン、中々苦しんでゐる。



一月二十四日(水曜)

 十一時起き、三時に出て、下二番町へ寄る、成之兄が拓務参与官になったので、祝に商品切手持参する。それから東宝映画本社へ。森岩雄氏を訪れ、富士屋ホテル行きをすゝめる。三月東宝進出のことは、那波支配人も積極説ではないので止してスケジュール通りに運ぶことゝする。清月で天ぷら、胸やける、油がいけないのだ。座へ出る、大満員である。長尾克大尉元気な顔で来楽、佐藤邦夫も来た。小林一三氏見物で、「兵隊」熱演、げっそりくたびれる、ハネるとまっすぐ帰宅。美川きよの「女流作家」を読み上げて、不愉快。佐藤八郎の「公園三人衆」読みつゝ寝る。

 二月の映画は、もう間に合はないが、その次作品からは、今迄のやうにアチラ任せでなく、大いにこっちも註文を出し、映画のロッパも、一俳優に甘んずることなく、プロデューサーとしても、責任を持ちたいと思ふのである。



一月二十五日(木曜)

 十二時半に女房と武蔵野館へ行き、ロナルド・コールマンの「放浪の王者」を見る、西洋阪妻剣劇。暖房が無いから寒いこと/\。出ると、中村屋へ寄りコーヒーを飲む。それからもとB・Rの紅白亭の家庭料理てのを試みに行く。不味くはないが、二円半とるのは如何だらう。座へ出る、大満員である。吉屋信子女史見物来訪。「兵隊」陸軍省へ頼み、推薦して貰ふやう、小笠原章二郎が骨を折って呉れてゐる。ハネ後、吉屋・門馬両女史に、築地金楽へ招かれ、御馳走になる。キング・オブ・キングあり、快し。どうも酔っても近頃理屈ばかり言ってゝいけない。

 エノケンの酒が泣上戸、近頃の僕は、理屈上戸になり、肩のはる思ひで飲んでゐる傾向だ。これでは、ます/\労れるばかりだ。もっと、朗かな、ノンセンスな飲みが必要だ。



一月三十一日(水曜)

 箱根へ。

 十時頃眼がさめる。昨夜はディムプルを痛飲したが、流石に一流の酒である、今朝の気分快適である。二時半に迎へ来り、家を出る。行き当りバッタリの汽車に乗るつもり。丸ビルの伊東屋で原稿用紙をしこたま買ひ込む。四時二十五分の熱海行きに乗ると、増田叔母上が熱海行きで同車、小田原迄退屈しないで済む。小田原よりハイヤで、宮ノ下富士屋ホテルへ。七時を待ちかねて食堂へ。オルドヴルからとてもうまし。白葡萄酒小壜一本とり飲む。ビフテキプディングてものがうまかった。

 箱根と来れば、先づじっくりと湯に浸るのが当然だが、ホテルと来ては、そのたのしみは、まるで無い、部屋のバスか、パノラマみたいな馬鹿気た風呂か。それに、畳の無いかなしさ、ハランバヒになれない、此の辛さ。たゞ、ひとへに食ひものゝいゝことだけに、すがりついてゐるわけ。いや全く、二ついゝことは無い/\。


 箱根富士屋ホテルにて。

 富士屋ホテル――部屋の感じよろし。食事は満点。だがさて、ホテルのバスくらい悲しいものはあるまい、シャボンを使って濁った湯へドブリと浸る気持の悪さ。西洋人に迎合して、日本特有の温泉浴場を設備しない富士屋ホテルも嘲はれてあれ。(西洋行水と書いてルビ、バス)アンマが来た。ギシ/″\、ギチン/″\、寝台は鳴り通し、圧せばヘコむスプリングのおかげで、アンマの快感はゼロ。床ユカの上へ蒲団をおろし、その上で揉ませる。アンマ曰く、「安いお方じゃありませんな、金がかゝってる。」そのうち揉まれてる鼻先へプーンとアンマの屁だ。心の中で僕、「これは辛い。」

 



昭和十五年二月


二月一日(木曜)

 箱根富士屋ホテル。

 朝食の時間を逸しては大変と、八時半に起きる。食堂へ、オレンヂ・ジュース、オートミール、スクラムブルエグ、コーヒー。美味い。部屋へ帰って、窓をあけると、もう閉め方が分らない。女中呼んで閉めて貰ふ、ホテル生活は格子なき牢獄であるといふユーモア小説が書ける。又、アンマを一時間やらせ、金魚の湯てのへ入った、バスよりましだ。内田百間の「冥途」を読んでると、コン/\カーンと食事を報せる音が響いた、オルドヴル、ポタジュ、車海老フライ、鶏とヌードル、うまい、たゞこれだけで来てゐるのだからな。二時間ほど昼寝、人魚の湯へ入り、「冥途」を読み上げ、「あさくさの子供」にかゝる。夜食八時近く。ローストビーフうまし。「あさくさの子供」とてもいゝ、大感激。

 一日中、しゃべることから脱け切れない生活をしてゐる僕である。それが今日一日中に何言喋ったらうか。のど休めだ、全く。あんまり喋らないと、ひとり言を言ひたくなる気持が分った。



二月二日(金曜)

 箱根富士屋ホテル。

 寝台に入ると、何うしても眠れない。アダリンを飲む、そして漸っと眠る。これでは保養にならん。八時すぎ起きる。入浴、食堂へ、スクラムブルエグとコンビーフハッシュ。又ベッドに入り、眠った。一時迄。すぐ又食堂へ。マカロニ・メキシカン、プローンのライスカレー。理髪店に行く。剃って、シャンプーして、ついでに前のビューティパーラーでマニキュアをしてみる。やすりでゴシ/\、湯に手を浸けたり、アマ皮をこさいで除って、一円。馬鹿々々しい。窓外は雪になった。谷川徹三の「私は思ふ」にかゝり、八時近く食堂へ、トマトクリームとプラム・プディングうまし。又、ソータン小壜を三分の二ほど飲み、ほろ酔ふ。眼に悪いと思ひつゝ、「私は思ふ」をアゲると「実業人の気持」を読み始め、一時すぎた。

 どうもホテル生活はやりきれない、くゝり枕一つを畳の上へ置いて、アゴをのせて腹ん這ふ心地は、あゝ何とよきかな。洋食はうまし。されど、オミヨツケも食ひたし。



二月三日(土曜)

 箱根。

 九時に起きた、もっと寝てゐようか、いや/\食ひたい。食堂へ、オートミールとスクラムブルエグ。又ベッドへ入り、眠った。滝村から電話、森岩雄都合悪く滝村だけ来る由。金魚の湯へ入り、読書。雪、時々降る。昼食、ポタアジュうまし、ボイル・ディナーとポークソーセージ。午後は、手紙数本と葉書数枚書いた。昼寝一二時間、これじゃあ夜寝られないわけ。四時半、滝村未だ来ず、もうホテル生活は嫌だ/″\。八時近く、滝村来る。食堂へ、ソータン小壜、一本あけ、色々食べる。うまいが、もう日本食恋し。喋り喋って、夜を更かす、一時すぎ、アダリンをのむ。滝村お先へグーグー。

 葉書の一つに曰く、ひとり居て、しゃべるすべがない、腹話術の人形を持って来ればよかった。



二月四日(日曜)

 箱根――熱海。

 九時半眼がさめる。食堂へ。味噌汁と卵で飯を食ひたいなアと思ふ。とか何とか言ひつゝコンフレークス、オムレツ、チキン等平げる。「浪曲忠臣蔵」といふ企画を話す。勘定、百二十七円何銭、チップ帳場へ二十円。腹は空らないし、もう/\洋食はイヤだが、午食二時十五分頃ホテルを去り、ハイヤ。小田原で滝村と別れ、三時半頃熱海着。海岸のつるや旅館へ。待望の畳の上へ。つるや旅館すべて安っぽいが、新しいので我慢出来さう。温泉行火の設備もあり、先づ落ちついた。久々、清の顔見る。女房・おばあさん・乳母も先着、何だか嬉しい。夕食、白い刺身と玉子やきでうんと食ひ、待望のアンマ、榎本といふのがゐて、それの荒療治、清と一緒に入浴、浪の音、すべてよろし。「都」に、浜村米蔵が「五郎とロッパの名文」と題し、僕が「東宝」正月号に書いた「楽屋用いろはかるた」に及んで賞めてゐる。浜村米蔵、よほどのファンとなったらしい。



二月五日(月曜)

 熱海。

 よく寝て、十時半迄何も知らず、すぐ入湯、朝食――サービスはスロウで昼食になってしまったが、待望の味噌汁、カマボコ、肉が一皿、うまい/\。食後、宿のコーヒーをとる、わりに美味い。あゝこれこそ保養じゃ哩。アンマ榎本来り揉む、痛いがうまい、皮膚がピリ/\するよと言へば、「そいつはすみません、皮むきアンマは下の下です」と言ふ。読書「奇・珍・怪」、中々面白し。女房と海岸に出来た竹葉で食事、川口・三益が聚楽へ来てることを、小沢陸蔵にきく。小沢の経営、しるこやぼたんでしるこを食ひ、宿へ帰ってみると、東久雄が来てた、隣の隣り、そこで話し込み、ねたのは一時半。



二月六日(火曜)

 熱海。

 九時半に起きる、入浴して食事、生卵と味噌汁がうまい。脚本のことは気になるが、まだ今日はよからう。聚楽へ来てゐる川口・三益が子供―男四ツ―を連れて遊びに来た。東久雄の浅草ピン行き話から、ドサ廻りの話などきゝ皆で大笑ひする。川口、清を見て「これあ出来がいゝ/\」。緑風閣へ皆で出かける、ビール飲みながら天ぷらをウンと食ふ。美味くないが空腹なのでよろし。こっちは清を抱き、川口は男の子を抱き、二人とも平凡極まるパパの姿だった。川口が帰って、さて、床へ腹ん這って煙草、いゝ心持、あゝ休まるわいと思ふ。又清と遊ぶ、何と子供はよく親を遊ばせて呉れるものかな。

 何を好んで、富士屋ホテルなどで、不自由を忍んで何日間か居たものであらうか、成程食ひものは美味かった、が、あとは何一ついゝことは無かった、「人間食ふがためのみに生くるものにあらず」である。



二月十九日(月曜)

 今日も八時起き、東発へ行く。三国周三、沢村貞子、渡辺篤とからむ、古岡の家のセット、昼食になる、ポークチャップを食ふ。午後は、子役とからむこと二三あって、セット代り。その間、牛島通貴が、福岡の神保栄と一緒に来た、五月に九州へ来て呉れといふ話、平野に任せることゝし、夜又会ふことにして帰って貰ふ。藤田房子の父親来る、藤田が軍慰問がてらの旅をする件、許可する。赤帽の溜りのセット、九時近く迄。でも、仕事は早い、もう僕の出るとこの半分位も進んだやうな気がする。終ると銀座の新世界てふカフェーへ。平野を連れて行って、牛島・神保に紹介する。スペ・ロヤルってウイスキを持って来て呉れた。



二月二十五日(日曜)

 これだから映画は嫌ひだ、といふ日が撮影中に一日か二日は、あるものだ。今日がそれだった。九時すぎに砧へ着いたが、メイコちゃんが来てゐない、準備もまだらしい。そろ/\支度にかゝると、曇って来て、ポツ/\と雨。で、オープンはやめて、東発のセットへ入ることゝなった、その移動で手間どる。東発の部屋で、スチーム無くとても寒い中、無為に待ち、待ち、待つ。結局、七時頃から一時間半ばかりでアガリ。九時から十時間待たされてこれだけ。馬鹿々々しくて話にならん。東発は風呂も無し、クサリつゝ顔を落し、服部良一と銀座へ出て、ルパンからハイデルベルヒへ廻り、コロムビア入りの具体的な話をする。



二月二十七日(火曜)

「ロッパの駄々ッ子父ちゃん」撮影終了。

 今日で僕の出るとこはオールチョンの筈、いゝ塩梅にピーカンの好晴だ。オープンの古岡の庭の三カット、食堂で、うどんのカレー南蛮てのを食べる、熱くてうまい。入江プロの部屋へ行き、コーヒーと風月の菓子を馳走になる。永年の映画生活、此の連中はちゃーんとスタヂオの中で楽しめるやうに色々用意してゐる。四時すぎ砧はアガリ。俳優部の星野を誘って渋谷迄出て、北京亭といふ支那料理屋を教はり、夕食する。すぐ又引返して東発へ。七時半セット入り、森林をさまよふ。雨の中、コードを身体につけて提灯の電気入りを持たされビク/″\ものである、感電しさうで恐い。大難行苦行と相成り、十一時近く迄かゝって、帰宅、旅の支度とゝのへて寝る。

 とてもアガるまいと思ってた映画だったが案外や、アガっちまった。してみると、じっくり組むものは別として、此ういふ気軽なものは、十五日あれば大丈夫アガると定った。



三月一日(金曜)

 北野劇場初日。

 十時にきちんと眼がさめる、食事、まことにアッサリしてゝいゝが、もう果ない気がする、早すぎるが。興亜奉公日で、コーヒーも休み、宿の紅茶を飲む。那波氏宛、大阪の打ち日を二十五日迄として貰ひたき旨書き送る。十二時から検閲あり、座へ出る。ヴァライエティー式のものに限り、検閲官出張し、一と通り本式にやらせて検閲するのだ、馬鹿にしてる。歌や踊はいゝが、腹話術なんか馬鹿々々しくて出来やしない。今日は三時開演、序の「春風吹いて」はこゝの封切、二の「新婚」は、よく笑ふ。「兵隊」大阪でも大丈夫と定った、又新に涙を流して演った。幕切の手は東京より盛大。入り大満員。ハネが何と八時。早いから有がたいが一日のことゝて手は無し、竹川へ行き、あひ鴨のすきで食事して、雀を始めた。これが徹宵です。

 道頓堀の近くの文具屋で、カーターを二本買った。大分万年筆は、いゝのが揃ったが、此の日記をつけてゐるウォターマンは、実に得がたいもの、随分永年使ってゐるが、まだよく書ける、お代りが手に入らないと思ふと、ます/\大切だ。


三月二十日(水曜)

 今日も亦貸切マチネーで、せいが無い。座へ出る。貸切ショップガイドの客、又々皆クサる。瀬良営業係長来り、千秋楽に又貸切マチネーをたのまれる、特賞を出すことを約束させて、承認する。くたびれることだわい。昼の終りに、地下のスエヒロでビフカツとライスカレー食って、阪急百貨店へ。女房の土産ハンドバックを買ふ。特選売場で又オーストリア物のタイ一本。今日から「駄々ッ子父ちゃん」梅田映画で封切なので入ってみる、よく入ってゐた。夜の部、大満員。今夜はもう飲むのも面倒、フロントクラブへ行き、食事して、十二時に宿へ帰り、すぐねる。



三月二十四日(日曜)

 荷造りをしようと思ってるのでキチンと起きる。昨日神戸で買った靴の中へ、土産物をつめ込む。昨夜、サムボア他でマッチを何百個と貰って来た、これは受けるであらう。座へ出る。昼、大満員。李香蘭が見物してる。千恵蔵が「兵隊」を見たいと来る。昼終り、四月の宣伝写真撮影があり、「ロッパと将軍」の二役を、数枚撮る。親爺の方支那将軍の姿、如何にもグロで嫌だった。夜も大満員、「大統領!」「ロッパ」等のかけ声あり、それが間のびしてるのでクサる。ハネて、今夜は特別出演連の小笠原・稲葉と、悦ちゃんのお父さんをよぶ、新町吉田屋。あひ鴨のすきは、うまかったが、芸妓ひどいウンスヰばかりなのでクサリ、一時前帰る。


三月二十六日(火曜)

 大阪――神戸――帰京。

 清が太い声で大人みたいなので弱ったと思ってたら夢、でよかった。大阪を去る朝、九時半起き、阪急で神戸へ。アルプス・グリルといふのへ行く、安くてうまい定食。トア・ロードへ出て、清の玩具と小さなベレエを買ひ、元町のサノヘで又ネクタイを一つ買っちまった。時間があるので阪急会館で「駄々ッ子父ちゃん」を一と通り見た、受けてはゐるが、入りは大したことはなかった。五時半に、海岸通りのオリエンタル・ホテルへ。オリエンタルクラブの家庭会の余興である。漫談と腹話術と二度出て、間に久米等のダンス。ひどい客、子供ばかりでビー/″\言はれ、大クサリ。終って九時五分、三ノ宮発の一・二等特急で帰京の途につく。吉岡社長、隣の寝台。 


 

四月一日(月曜)

 有楽座初日。

 初日、興亜奉公日の三時開き。座へ着くと、満員で客止め。序の「春風百貨店」は三十分でアガり、次「東京温泉」何せ長い、二時間以上かゝった。プロムプターが不馴れなので、随分穴も明いた。菊田が荒れ出して、どなるやら高杉を一つ喰はすやら。でも、これはよく受けた。「芝浜」は、相手の三益のセリフが、まるで入ってゐないので、やりにくゝ、幕切れに緞帳が下りないで暗転といふ醜態を演じたり、山野が脱線して、馬鹿なこと言ったりしたが、これも先ず受けてはゐる。こゝ迄はよかったが、稽古不足の欠点を完全にバクロしたのは「ロッパと将軍」だ、エラー続出で、すっかりしょげてしまった。十時に終らせるため、ラストのヴァラは抜き。明日二時に稽古のやり直しといふことに定めて帰宅。

 エイプリルフールなんてものが、まるでピンと来ない時世になった。そんなことしても可笑しくもない、中々此ういふ時世の喜劇は、むづかしい。



四月十三日(土曜)

 覆面して、股間にはふんどしを二つ、一つ股に一つ宛締めて、薬をつけて寝る。一時に寝て、十時迄。鏡を見るとがっかりする、まだよくならない。気持が悪いが、ヒゲ剃もやめる。皮がつっぱって痛いので食事も美味くない。左の眼蓋にトビゝして、これが痛むので気が重い。病気てものをしたことのない僕、とても参ってしまふ。四時すぎ、すしなど食って、出かける。入りは、今夜は土曜のことゝて大満員なり。人に顔見られるのが嫌だ、顔を撫でゝザラ/″\する触感は、ゾッとする。芝居が何うしても身が入らない。「東京温泉」のみ、いくらかよし。ハネると今夜もまっすぐ帰宅、元気なし、又、女房に薬を塗って貰ひ、覆面して寝る。



四月二十九日(月曜)

 有楽座千秋楽。

 九時頃眼がさめる、入浴、顔はすっかりいゝ。十二時家を出て座へ。小笠原兄弟・悦ちゃん・稲葉に林寛・斉藤紫香等今日は色々な人の来る日。エノケンに脚本書いてやる話をしたのが、実現しさうになって来た、此の休み中に書いてやらうか。屋井が、喜多村緑郎筆の「ロッパと兵隊を見てうまいと思ひながらあるく冬の夜の街」といふのを表装させて呉れて持参。夜の「東京温泉」終ると、照明室から「ロッパと将軍」を見物、渡辺篤の大熱演面白し。ハネて、服部哲雄、ジョン・ヘイグ一本持参、九段へ行く。

四月興行技芸賞

○屋井賞

杉山彪(四の兵卒)

○H賞

原秀子(二の小女)

吉岡勇(四の番兵)

○ロッパ賞

高杉妙子(二の春子) 技芸進境著し

竹村千左子(二の仕出し) 此ウイフ役ヲ生カシタコトハ賞メラレテイゝ

藤リエ子(二の夕刊売) 毎度変ラヌ努力ヲ



四月三十日(火曜)

 熱海へ。

 十一時に出ると、順天堂へ。眼科へ寄る、「ホースヰ蒸気を」と言ふので何かと思ったら眼へ吸入をかけるのだった。皮膚科へ寄り、いろ/\薬を貰って、こゝで京極と会ひ、東拓ビルのコロムビア本社へ、入社の話を定める、五月八日に正式調印することにした。それからプレイガイドへ行って、七日の切符三枚買ふ。風月堂迄戻り、食事して、四時四十分の豊橋行で熱海へ向った。二等は空いてたが三等の客があふれ込んでクサった。田中栄三著「映画俳優読本」読みつゝ。七時頃熱海着。つるやへ。女房・清・荒井と、橘弘一路夫妻が先着。いゝ塩梅に別館三階のいゝ室あり。夜食牛鍋。それから二夫婦で一荘、珍しく大三元を荘家でやる。




五月六日(月曜)

 十時に家を出て、海上ビルの東和商事へ、「フロウ氏の犯罪」といふフランス物を座員のために試写して貰ふ。まあ見てゝ倦きさせない。終って、東京会館でポタアジュと二皿食って、一時に稽古場へ入る、帝劇三階。「蛇姫様」を立つ。義太夫の人も来て、劇中劇野崎村、こいつ中々の難物、団福郎が師匠役で、一々立って演って貰ふ。五時半頃出て、明治座へかけつけたら、何とお目当の湯島が終るところだ、クサった。今回は「婦系図」の通しだが、中幕に「団欒」なんてヘンなのをやるので大走りらしいのだ。その中幕の間は、楽屋へ、喜多村氏のとこと、梅島のとこへ行ってた。同行の橘夫妻を送って帰宅。



七月二十八日(日曜)

 十一時に出かけ、四谷の綱島眼鏡屋へ寄る、京極の紹介でクルックスA2といふ前掛の眼鏡を注文。中泉眼科へ寄り十二時すぎ座へ出る。今日はマチネー、ところが惨タンたる光景、入り六分強位で、空席沢山、がっかりする。昼終り、古賀氏に誘はれ、京橋近くの花家てふうちへ、白米を食はせるといふので行ったが、時間がなく、ろくに食へず、座へ帰る、夜も七分弱位の入り、クサる。滝村より電報で、渡辺篤を借りること断念す、藤原釜足はロケ延引して駄目とのこと、京都は、すっかり藤原で宣伝してゐるので、これ又クサリ。ハネて、古賀政男と赤坂へ。西条氏の詩未着。



九月十四日(土曜)

 朝食して、神保町へ。東京堂書店で山田伸吉と待ち合せ、文房堂へ寄り、水彩絵具を一式揃へて呉れと註文しといて、二人で上野の二科展を見に行く。中々面白いのもあるが、ひどいのもある。阿部金剛、藤田嗣治のはよかった。此ういふものを見るのも何年振りだらう。車を浅草へ飛ばし、浅草楽天地を一寸のぞき、浩養軒で夕食三皿ばかり食べて、四時に文房堂へ引返し、水彩用具一式三十七円ばかりで買って丸の内へ。今日も渡辺休演。土曜のことゝて補助の出る満員だが、どうも客が力が無い、しめってる。時世のためであらう、気の毒だ。「歌へば」日ベンをサトウが代るので気分めちゃ/\だ。ハネてまっすぐ帰宅、夜食。絵具箱を拡げて喜ぶ。


十月二十三日(水曜)

(ノートをたよりに逆に日記の整理をして来たが〔十一月二日〕記憶がぼけてゐるのと、ノートも、わけの分らぬことが書いてあったりして、頼りない。明二十四日の頁に、上森が来て呉れ、そして即日帰京したやうに書いたが、実は二十三日に、大阪の林正之助と来り、一日泊りて翌日帰ったものらしい。以下、二十三日のノートのみそのまゝうつして置く。)

 ノート一、

 此うしてゐると不思議なことは、腹が立たぬことだ、兎に角のんびりしてることだ。

 ノート二、

 いけません、まだうまいものは一切いかんです、と夢声が言ってるやうだ。

 ノート三、

 ふと「おしゃく」の時「見えた/\よ松原ごしに」と、軍人が小原節を踊るところで、眼の上へたゞ手をかざしたが、これは望遠鏡で見る形をすればよかったのにな。

 午前九時七度九分。千葉吉造氏来る、新聞見ない方がいゝと言った。上森が大阪の林と来た。夜、京極高鋭現はる。自分の手相が、ガラリと変ってるのに驚く。


 発信控へ

 十一月五日

上森子鉄 橘弘一路

 六日

加藤成之 京極鋭五 加藤常子 友田純一郎 菊田一夫 屋井宏之 坪内士行 森岩雄 山田伸吉 増田七郎 近藤光之 上沼健衛 中村メイコ 長谷川一夫



十一月七日(木曜)

 何となく疲れてゐる。昨日手紙を書き過ぎたのと外出が応へたか。何とヤワな身体となったものだ。嘉納健治氏令嬢見舞、先生より見舞金百円。手紙七通書く。九日退院だ、九日の中座の新派の切符、十日の文楽と買はせる。入浴。「夢ありし日」を読み上げ「レベッカ」にかゝる、翻訳物は「少女シリア」でこりたが、これは少し面白さうだ。ビクターの青砥道雄、高橋兄貴来る。夕食は久しぶりで飯が出た、鯛のさしみとしたし等、飯を丼に一杯食った。夜、加藤弘三夫妻、近藤泰来る。泰は銀行づとめの愚痴をこぼして十時頃迄居た。さて寝よう。今日の回診、京大の真下先生といふ人の診察だった。夜、目方計ると、十九貫一寸に復活してゐた。

 発信控

沢田由己 水の江滝子 阿部玉枝 山根寿子 寺木定芳 月野宮子 斎藤豊吉


十一月八日(金曜)

 午前中は「レベッカ」を読み、又手紙を数通書いた。昼頃平野が来た、昨日京都の今井さんの払ひをして来て貰った、二百七十円ばかり、それから此の病院の先生方に百円宛二人礼をする、その他中々ものいりである。此の患ひで二千円ばかり飛ぶ。命拾ひをしたのなら安いものだ。一時半にタクシーをよび、礼廻りに平野と。松竹本社の千葉吉造氏のとこ、これが朝鮮出張中、吉本の林正之助氏へ行くと上京中、ガスビルの永田氏のとこへ行ったら留守、三ヶ所ともフラれた。病院へ戻ると入浴、「レベッカ」上巻読了、「少女シリア」よりよほど面白かった。夕食、パン、空腹にまづいものなし。夜、女房使ひに出る、手紙数通書く。小穴隆一の「鯨のお詣り」読み出す、新大阪の近藤が一寸酔って来り、ごちさうを置いて帰った。さあ明日は退院なり。

 僕の入院した時の顔色、目の具合が看護婦連の目から、「やれお気の毒な、もうあの人も駄目だな」と見えたさうだ。大てい此の予感は当るのださうで、意外に早く治ったので皆驚いてゐるのださうだ。

 発信控

小国英雄 滝村和男 三益愛子 川村秀治 伊藤松雄 正岡容 太田一平 山野一郎 上山雅輔 中野実 渡辺篤 サトウロクロー 大庭六郎 石村宇三郎


十一月二十七日(水曜)

「都」の日色・写真の寺岡二人も起き出でゝ、一緒に朝食。食後、「都」の写真、清を抱いてるとこ、絵を描いてるとこなど撮す。明日熱海俵別荘へ引越の筈だが、そっちから電話で温泉が節電のため時間制となったとのことで、大がっかり。女房と清は寺岡写真君と海岸へ下りて盛に撮して貰ふ。十二時すぎ、日色・寺岡とでワニ園へ行き撮影し、町の方へ、箱根グリルの二階で、お定食、三時近く両名帰京、一人で熱海宝塚劇場へ「燃ゆる大空」二時間近く見てると眼が疲れたので出る。電話で打合せ、熱海ホテルで母上・女房・清と落合ひ、寒々としたホールで六時迄待ち、食事。貧弱なメニューだが、デザートの甘いスフレがとても美味かった。食後すぐ帰宿。清、大いに歩く。今日より大分寒いので蠅が全くゐない。久しぶりで湯滝に当る。

 母上が清の守をして下さる、ふと口づさまれる歌が面白かった。


おけらの虫は

うじゃこい虫で

雨さへふれば

もぢゃ/″\/″\

といふのである。



十二月二十四日(火曜)

 十一時に東映本社。白井鉄造と李香蘭に逢ふ。森氏に京極のこと話す。平野迎へに来り、ニットー紅茶へ寄って話さうとするが満員、ホテ・グリが又満員、此ういふところの満員さ加減、未曽有である。世間の景気、よっぽどいゝのか。一時稽古場へ。五時半に、清水荘平が迎への車をよこすといふので、待つ。葭町の百尺へ。清水盛に吹くので中々話がむづかしい。料理は量が不足だし、うまくない。昨夜の志保原がよっぽどよかった。芸妓も料理屋も馬鹿な急しさで、てんで落ち着かない。十時頃か、切り上げて帰宅。稽古場へ南部僑一郎・鈴木桂介来る、お歳暮やる。


https://www.aozora.gr.jp/cards/001558/files/52688_54755.html


「古川ロッパ昭和日記〈戦前篇〉新装版」

晶文社。1934年1月1日から死の直前の1960年12月25日までの記述が収載。内容は自身の日常生活、美食の記録、映画や演劇、読書の感想、時勢に対する批判など多くの事柄を細かく記して、昭和戦前期から戦後にかけての時代風俗を知る貴重な記録。

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2019年07月24日

『「カッコいい」とは何か』平野啓一郎(講談社現代新書)

「カッコいい」は1960年代に生まれた。民主主義と資本主義の世界で定着し、ポジティヴな活動を促す巨大な力となる。「しびれる」ような強烈な生理的興奮。非日常的快感──自分の趣味を顧みながら、書いた。「カッコいい」を考えることは、「いかに生きるべきか」を考えることだ。あなたの理想とする「カッコいい」に置換して読んでほしい。

詳細はこちら→ https://kcx.jp/kakkoii


◎「カッコいい」という日本語の諸説

◎生理的興奮として「しびれる」

◎表面的な評価、実質的な評価

◎Cool, Hip, Atlantic Crossing!

◎三島由紀夫、ボードレールとダンディズム

◎カッコ悪い、ダサいとは何か? ほか


本書は、「カッコいい」男、「カッコいい」女になるための具体的な指南書ではない。そうではなく、「カッコいい」という概念は、そもそも何なのかを知ることを目的としている。 

「カッコいい」は、民主主義と資本主義とが組み合わされた世界で、動員と消費に巨大な力を発揮してきた。端的に言って、「カッコいい」とは何かがわからなければ、私たちは、20世紀後半の文化現象を理解することが出来ないのである。 

誰もが、「カッコいい」とはどういうことなのかを、自明なほどによく知っている。 
ところが、複数の人間で、それじゃあ何が、また誰が「カッコいい」のかと議論し出すと、容易には合意に至らず、時にはケンカにさえなってしまう。 

一体、「カッコいい」とは、何なのか? 

私は子供の頃から、いつ誰に教えられたというわけでもなく、「カッコいい」存在に憧れてきたし、その体験は、私の人格形成に多大な影響を及ぼしている。にも拘らず、このそもそもの問いに真正面から答えてくれる本には、残念ながら、これまで出会ったことがない。 

そのことが、「私とは何か?」というアイデンティティを巡る問いに、一つの大きな穴を空けている。 

更に、自分の問題として気になるというだけでなく、21世紀を迎えた私たちの社会は、この「カッコいい」という20世紀後半を支配した価値を明確に言語化できておらず、その可能性と問題が見極められていないが故に、一種の混乱と停滞に陥っているように見えるのである。 

そんなわけで、私は、一見単純で、わかりきったことのようでありながら、極めて複雑なこの概念のために、本書を執筆することにした。これは、現代という時代を生きる人間を考える上でも、不可避の仕事と思われた。なぜなら、凡そ、「カッコいい」という価値観と無関係に生きている人間は、今日、一人もいないからである。 

「カッコいい」について考えることは、即ち、いかに生きるべきかを考えることである。 
――「はじめに」より 


【目次】 
第1章 「カッコいい」という日本語 
第2章 趣味は人それぞれか? 
第3章 「しびれる」という体感 
第4章 「カッコ悪い」ことの不安 
第5章 表面的か、実質的か 
第6章 アトランティック・クロッシング! 
第7章 ダンディズム 
第8章 「キリストに倣いて」以降 
第9章 それは「男の美学」なのか? 
第10章 「カッコいい」のこれから 

「カッコいい」を考えることは、いかに生きるべきかを考えることだ!「カッコいい」は、民主主義と資本主義とが組み合わされた世界で、動員と消費に巨大な力を発揮してきた。「カッコいい」とは何かがわからなければ、20世紀後半の文化現象を理解することは出来ない。それは、人間にポジティヴな活動を促す大きな力!

平野 啓一郎 
ひらの・けいいちろう/1975年、愛知県蒲郡市生まれ。北九州市出身。小説家。京都大学法学部卒業。1999年、在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により第120回芥川賞を受賞。以後、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。著書に、小説『葬送』『滴り落ちる時計たちの波紋』『決壊』(芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞)『ドーン』(ドゥマゴ文学賞受賞)『かたちだけの愛』『空白を満たしなさい』『透明な迷宮』『マチネの終わりに』(渡辺淳一文学賞受賞)『ある男』(読売文学賞受賞)、エッセイ・対談集に『私とは何か 「個人」から「分人」へ』『「生命力」の行方~変わりゆく世界と分人主義』『考える葦』などがある。 

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井上ひさしと141人の仲間たちの作文教室 (新潮文庫)

本書は平成8年11月に岩手県一関市で開催された井上ひさし氏の「作文教室」の記録である。
「わたしも書く時間が残り少なくなってきました。あと十年も書ければと考えたり、できたら、十三年、あと十四年は、と考えたりしますが、十五年は持たないと思っています。」
この偉大な作家に触発されて紡がれた珠玉の「作文」が並んでいる。朱筆を介した作家と受講者との交感は、圧巻。至福の交流。作家が素晴らしい教育者でもあったことが熱を伴って伝わってくる。

一時間目・・・作文の基礎基本
二時間目・・・日本語の急所をざっくりと講義
三時間目・・・良い書き手、良い読み手への架け橋
四時間目・・・代表生徒二十六人の四百字作文を発表と添削

・作文の秘訣は自分にしか書けないことを、分かりやすく書くこと。
・文章を曖昧にするのが「〜か」
・題名を付けることで1/3以上終わっている。いい題名とは情報が豊かである。
・なるべく短くする。
・いきなり核心にはいることが大切。
・日本語は主語を削ると良くなる。
・日本語には関係代名詞がないので、文をちょっと複雑にすると短期記憶に入らない。
・外国語では丁寧さを表すのに人称を変える。
・先触れの副詞を使うと効果的(さぞ、かならずしも、けっして、ちっとも)
・長期記憶の中からとんでもない物が、ひゅっと出てくる。
・わたしたちは民族として長期記憶が少ない。
・全体のテーマからそう外れずに脱線する。
・子供には観察文とか報告文を書かせる。感想文では駄目。
・人に伝えるには言葉が必要。

何かと目立つ、リアルな脱線。
学生時代に先生が担当科目とは違う話題を引っ張り出して、それが妙に面白くて記憶に残ってる、そんな経験が何方にもあると思います。
「わたしたちは民族としての長期記憶が少ないんです。貧しいんです。」という。
アメリカと比べると、日本では身体の部位についての名詞と成句が曖昧、言語と国民性の相関。

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井上ひさし 
1934(昭和9)年、山形県生れ。上智大学文学部卒業。浅草フランス座で文芸部進行係を務めた後に放送作家としてスタートする。以後『道元の冒険』(岸田戯曲賞、芸術選奨新人賞)、『手鎖心中』(直木賞)、『吉里吉里人』(読売文学賞、日本SF大賞)、『東京セブンローズ』など戯曲、小説、エッセイ等に幅広く活躍している。’84年に劇団「こまつ座」を結成し、座付き作者として自作の上演活動を行っている。
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2019年07月22日

朱色の草花が咲いてる

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発色がいい花の色を観測する。
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2019年07月20日

月誕生の謎に新説 原始地球のマグマの海、天体衝突で

地球を周回する衛星、月はどのように誕生したのか。天文学者を長く悩ませている難問だ。

米国のアポロ計画で50年前、人類が初めて月に降り立ち解決できるとみられたが、逆に新たな疑問が生まれ謎は深まるばかりだ。混迷状態を打開しようと最近、日米の研究グループが課題を解消する新説を打ち出し「有望な提案だ」と注目されている。

【日経新聞】より



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人類初の月面着陸から、7月20日で50年となる。

NASAとNeil Armstrong(ニール・アームストロング)船長やBuzz Aldrin(バズ・オルドリン)操縦士が月へと降り立つ間にアポロ宇宙船のコマンドモジュールを担当したMichael Collins(マイケル・コリンズ)操縦士と協力した月面着陸。
Googleチームはコリンズ操縦士が彼の視点から一連の出来事を語る動画を制作。
https://www.youtube.com/watch?v=t6VpHyKXHBM&feature=youtu.be

当時使われた着陸マニュアルがオークションに出品されたが、不成立となった。
アメリカ・ニューヨークで18日、オークションにかけられたのは、「アポロ11号」が1969年7月20日に月面着陸する際の手順が書かれた、44ページのマニュアル本。


オークションは、500万ドル(5億3,700万円余り)まで価格を上げたが、持ち主の希望価格に届かなかったため、不成立となった。
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2019年07月19日

アニメ「ざんねんないきもの事典」Eテレ

「デンキウナギは自分でも感電している!」(^∇^)

『ざんねんないきもの事典』のショートアニメが、7月29日からNHK Eテレで放送される。

https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1906/25/news112.html

玄田哲章さんと日のり子さんの実力派声優のおふたりが声の出演をします。

新作8本の放送は下記の通り(一部、再放送もあり)。

【アニメ「ざんねんないきもの事典」Eテレ】

@7月29日(月) 午前9:30−9:35 午後9:55−10:00

A7月30日(火) 午前9:30−9:35 午後9:55−10:00

B7月31日(水) 午前9:30−9:35 午後9:55−10:00

C8月 1日(木) 午前9:30−9:35 午後9:55−10:00

D8月 2日(金) 午前9:30−9:35

E8月 5日(月) 午前9:30−9:35

F8月 6日(火) 午前9:30−9:35

G8月 7日(水) 午前9:30−9:35

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「腹のへった話」 梅崎春生


 申すまでもなく、食物をうまく食うには、腹をすかして食うのが一番である。満腹時には何を食べてもうまくない。
 今私の記憶のなかで、あんなにうまい弁当を食ったことがない、という弁当の話を書こうと思う。弁当と言っても、重箱入りの上等弁当でなく、ごくお粗末な田舎駅の汽車弁当である。
 中学校二年の夏休み、私は台湾に遊びに行った。花蓮かれん港に私の伯父がいて、私を招いてくれたのである。うまい汽車弁当とは、その帰路の話だ。
 花蓮港というのは東海岸にあり、東海岸は切り立った断崖になっている関係上、その頃まだ道路が通じてなく、蘇澳そおうから船便による他はなかった。その船も二、三百屯トン級の小さな汽船で、花蓮港に碇泊ていはくしてハシケで上陸するのである。
 で、八月末のある日の夕方、私はハシケで花蓮港岸を離れ、汽船に乗り込んだ。この汽船がひどく揺れることは、往路においてわかったから、夕飯は抜きにした。私は今でも船には弱い。
 そして案の定、船は大揺れに揺れ、私は吐くものがないから胃液などを吐き、翌朝蘇澳に着いた。船酔いというものは、陸地に上がったとたんにけろりとなおるという説もあるが、実際はそうでもない。上陸しても、まだ陸地がゆらゆら揺れているような感じで、三十分や一時間は気分の悪いものである。だから少し時間はあったが、何も食べないで、汽車に乗り込んだ。そのことが私のその日の大空腹の原因となったのである。
 蘇澳から台北まで、その頃、やはり十二時間近くかかったのではないかと思う。ローカル線だから、車も小さいし、速度も遅い。第一に困ったのは、弁当を売っているような駅がほとんどないのだ。
 汽車に乗り込んで一時間も経った頃から、私はだんだん空腹に悩まされ始めてきた。それはそうだろう。前の日の昼飯(それも船酔いをおもんぱかって少量)を食っただけで、あとは何も食べていないし、それに中学二年というと食い盛りの頃だ。その上汽車の振動という腹へらしに絶好の条件がそなわっている。おなかがすかないわけがない。蘇澳で弁当を買って乗ればよかったと、気がついてももう遅い。
 昼頃になって、私は眼がくらくらし始めた。停車するたびに、車窓から首を出すのだが、弁当売りの姿はどこにも見当らぬ。もう何を見ても、それが食い物に見えて、食いつきたくなってきた。海岸沿いを通る時、沖に亀山島という亀にそっくりの形の島があって、私はその島に対しても食慾を感じた。あの首をちょんとちょん切って、甲羅をはぎ、中の肉を食べたらうまかろうという具合にだ。
 艱難かんなんの数時間が過ぎ、やっと汽車弁当にありついたのは、午後の四時頃で、何と言う駅だったかもう忘れた。どんなおかずだったかも覚えていない。べらぼうにうまかったということだけ(いや、うまいという程度を通り越していた)が残っているだけだ。一箇の汽車弁当を、私はまたたく間に、ぺらぺらと平らげてしまったと思う。
 そんなに腹がへっていたなら、二箇三箇と買って食えばいいだろうと、あるいは人は思うだろう。そこはそれ中学二年という年頃は、たいへん自意識の多い年頃で、あいつは大食いだと周囲から思われるのが辛さに、一箇で我慢したのである。一箇だったからこそ、なおのことうまく感じられたのだろう。あの頃のような旺盛な食慾を、私はいま一度でいいから持ちたいと思うが、もうそれはムリであろう。
(うめざき はるお、三二・四)

初出:「あまカラ 4月号 第六十八号」甘辛社
   1957(昭和32)年4月5日発行
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2019年07月18日

H・L・ボルヘス他,『ラテン アメリカ怪談集』鼓直ほか訳 (河出文庫)

『伝奇集』や『幻獣辞典』で有名な二十世紀ラテンアメリカ文学の巨匠ボルヘスをはじめ、コルタサル、パスなど、錚々たる作家たちが贈る恐ろしい十五の短篇小説集。ラテンアメリカ特有の「幻想小説」を底流に、怪奇、魔術、宗教、伝承、驚異などの強烈なテーマがそれぞれ色濃く滲むユニークな作品集。
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【収録作品】

「火の雨」ルゴネス(アルゼンチン)

「彼方で」キローガ(ウルグアイ)

「円環の廃墟」ボルヘス(アルゼンチン)

「リダ・サルの鏡」アストゥリアス(グアテマラ)

「ポルフィリア・ベルナルの日記」オカンポ(アルゼンチン)

「吸血鬼」ライネス(アルゼンチン)

「魔法の書」アンデルソン=インベル(アルゼンチン)

「断頭遊戯」レサマ=リマ(キューバ)

 「奪われた屋敷」コルタサル(アルゼンチン)

「波と暮らして」パス(メキシコ)

「大空の陰謀」ビオイ=カサレス(アルゼンチン)

「ミスター・テイラー」モンテローソ(グアテマラ)

「騎兵大佐」ムレーナ(アルゼンチン)

「トラクトカツィネ」フエンテス(メキシコ)

「ジャカランダ」リベイロ(ペルー)


あとがき  作家たちの冥府対談(鼓直)



「彼方で」付き合いを許されなかった恋人たちが心中を図って、幽霊になってデートを重ねた。彼方で幽霊二人を待ち受けるのは一体何なのだろうか?

「リダ・サルの鏡」咒で好きな人と結婚できる噂が実しやかに流れる街。そこで青年一人を巡って起きた事件が展開される。アストゥリアスは『大統領閣下』を長らく積んだままで、さっさと読もうと決心した。

「ベルナルの日記」ヘンリー・ジェイムズ『ねじの回転』にインスパイアされた短編。似通っている導入から、背筋も凍るような展開が待っている。家庭教師と娘が衝突する、天使のように見える娘の綴る日記は恐怖を呼ぶ。

「吸血鬼」映画を撮影に古い城を訪れたスタックを待ち構えていたのは、まるでドラキュラ映画から抜け出してきたような老男爵。愉快なパロディ映画『ポランスキーの吸血鬼』を彷彿させる。

「魔法の書」夏休みに古本屋でとても不思議な書物を見つける。読めない文字で書かれた本は、最初から休まず読む時のみ解読可能になる。「読む」作業にとりかかるのに、食料を買い込んで頭痛に備えてアスピリンと目薬と眠気覚しを購入する。ひたすら読むのに熱中するのだった。

「波と暮らして」波が人間の男に恋をして、家に付いてきてしまう。この波の美しいカーブは人間の娘のように描かれる。蜜月から狂うような場面へ、突然に訪れる別れ。魅惑的なマジックリアリズム作品。

「ジャカランダ」妻を亡くしてしまった大学教授が陥る永遠のぐるぐるループ。何度読んでも様々な解釈を与えられる。

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2019年07月17日

大蛇は山の神の化身とされた

古来から水の神や山の神の化身として蛇は信仰されてきた。時として人智を超えて猛威をふるう水の力や、縦横に流れる大河の乱流が、細長く力強い蛇を連想させた。
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『日本伝説大系10』記述より

火呑山(現・亀ヶ岳)と蛇円山というのは、備後一宮吉備津神社の北方を東西に渡る位置関係になる。そこを雌雄の大蛇が行き来していたという。


昔、青目寺のあったという火呑山の頂上の七ッ池に大蛇が住んでいた。東の蛇円山の柏山にも大蛇がおり、雌雄の大蛇は互いに行き来していた。ある時、人をも呑む柏山の雄の大蛇の話を聞いた一人の武士が、この大蛇を斬り殺した。

相方を失った七ッ池の雌の大蛇は淋しくなり、腹立ちまぎれに青目寺の小僧を呑むようになった。和尚は一計を案じ、藁人形を作ると、腹の中に火薬を入れ、小僧の法衣を着せた。そして本尊の観世音菩薩に大蛇退治の祈願を行った。

その夜、そうとは知らぬ七ッ池の大蛇が寺にやって来て、藁人形の小僧をひと呑みにした。大蛇が去ってしばらく、山上の方では天地を覆すような大音響とともに火柱が上がった。和尚の計略は成功した。

和尚と村人が夜の明けるもの待ち切れずに山頂の七ッ池へ登ると、四番池の草むらで一抱えもある大蛇が腹をズタズタに裂かれて死んでいた。のたうち回ったものか周囲の草木はすり切れ、地面は血で真っ赤だった。

人々は大蛇の首を切り取って寺に持ち帰り、祟りのないように供養を行い、寺宝とした。柏山の大蛇を斬った峠を「蛇斬り峠」、七ッ池の大蛇の死んだ所を「蛇摺」という。蛇摺では今でもその地は血色赤く染まり、草木は渦を巻いてすり切れ伸びないという。(みずうみ書房『日本伝説大系10』より引用)


丹波でも蛇伝説は多く、佐治川や本郷川など加古川の上流部が、人々に恵みを齎らす川となる。丹波市山南町応地では、「蛇ない(じゃない)」という行事がある。大雨が降って加古川が増水して、川を渡ろうとした子供が流されそうになってしまった。川上から白い大きな蛇が現れで、両岸につかまって橋代わりになり、子供たちを助けてくれた。

応地の人々は、この大蛇を山の神の化身とした。毎年1月9日山の神の日に、新しい藁を持ち寄って長い蛇をかたどった綱に撚り合わせ、村の大年神社に奉納する。この「蛇ない」行事は、現在は成人の日に行われている。

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