2019年06月08日

ファンクとR&Bとブギウギを融合させたドクター・ジョンが6月6日逝去した享年77歳。

独自のブレンドで作り上げた音楽の中心で、彼自身の心もそうだったように、生まれ故郷ニューオーリンズが常に息衝いていた」とドクター・ジョンの家族は語る。


ドクター・ジョンとして有名なニューオーリンズのピアニスト兼シンガーソングライター兼プロデューサーのマック・レベナックが、米現地時間6月6日木曜日に他界した。家族によると死因は心臓発作だったという。



彼は60年代にロサンゼルスで大活躍した凄腕セッション・ミュージシャン集団「レッキング・クルー」で中心的な役割を果たした。シェール、アレサ・フランクリン、キャンド・ハート、フランク・ザッパなど、数えきれないアーティストの音源で演奏した。


1960年に喧嘩を仲裁しようとして、左手の人差し指が銃で打たれてしまう。これを契機に楽器をピアノへと変えて、ピアノがメイン楽器となった。


ブードゥー教の神官をモデルにして作ったドクター・ジョンのキャラクターを、レベナックは他のアーティストに演じさせようと考えていた。そのアーティストが辞退して、自分でドクター・ジョンを演じる。「この計画が完全にできあがっていたので、腹いせに自分でやってやった。次のレコードを作ることなどないと思い込んでいたからね。フロントマンになる気なんてさらさらなかった。でも突然このキャラクターにハマってしまったのさ。思ったほど悪くないぞってね」。



伝説のプロデューサー、ジェリー・ウェクスラーを通じてアトランティックとレコード契約。遂に自分の声とグルーヴを見出して、アルバム『ガンボ/Gumbo』を1972年にリリース。

1973年ローリングストーン誌でのインタビュー「レコードを商業化する唯一の要素は人がそれを買うかどうかだ。もともと私は、商業的なものを作るとは自分自身を売ることだと思っていたし、音楽の質を落とすことだとも思っていた。でもよくよく考えてみたら、音楽を台無しにしないで、ルーツや自分が表現したい音楽要素を維持したままで商業的な音楽を作るのは可能だと思うようになった。それこそ、作ってから恥じ入るような作品ではなく、作ったことを誇らしいと思うセンスのある音楽をね。そういう楽曲なら悪くないし、いい方向に役立つことだってあるかもしれない」。


1976年までに人気は最高潮に達して、ザ・バンド解散ライブのラスト・ワルツにボブ・ディラン、ニール・ヤング、エリック・クラプトン、マディ・ウォーターズなど、錚々たるアーティストとともに招待された。


長いキャリアの中で多数のアルバムをリリースして、ソロ作品以外にもジャズの巨匠アート・ブレーキーとデヴィッド・”ファットヘッド”・ニューマンと組んだトリオ、ブルージアナ・トライアングルとしての作品も制作した。


「何であっても、大いに楽しむつもりなら知識なんて必要ない。音楽は世界共通の言葉なんだから。イタリア語のオペラだって、イタリア語を理解する必要はない。席に座って聞こえてくる音楽に共感すればいいだけだよ」ドクター・ジョン


posted by koinu at 17:10| 東京 ☔| 音楽時間 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

Santanaの会心作 Africa Speaks

伝説ウッドストックのパフォーマンスから50年、一つのプロジェクトで史上最多タイのグラミー賞9冠に輝いた名盤「Supernatural」から20年節目の意欲作。

https://youtu.be/mbckI715aKY

コンコード・レコード移籍第1弾。アフリカのサウンドとリズムにインスピレーションを受けた快作。初めて組んだマヨルカ島出身シンガー・ソングライターのブイカの力強いボーカルが、新しいサンタナのアルバムとなっている。

Santana Africa Speakshttps://www.universal-music.co.jp/santana/


posted by koinu at 07:37| 東京 🌁| 音楽時間 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする