2005年08月31日

『巨人たち』J.M.G.ル・クレジオ

 巨大な影が飛行機のような迅さで、地上を奔ってゆく。その影は大地を這って、禿鷹の羽みたいな広い翼で空間を遮ってゆく。その下をいくら動悸をはずませて走っていっても、なんにもならない。常にあなたの鼓動よりり早く進んでゆく。もう待つのはやめなさい。過ぎてゆく一秒一秒が新しい縺れをつくり、毎日新しい壁ができ、新しい窓が作られ、閉ざされる。ぼくはそれを知らなかった。どんな物でも、往復運動のように、偶然の去来するものと信じていた。あらゆる道路、あらゆる扉が見えるがゆえに、自由に選ぶことができると考えていた。密林の中を歩いているように、ある方向、ある前進存在し、一叢の草、一枚の葉は、それ自身で完成して何かを告げていると思っていた。だが人間達が身の周りの草むらを引き抜き、木の葉を毟るのはそのためなのだ。彼らは自然の活動を欲しないからだ。彼らの欲するのは人間自身の活動、人間自身の森、眼や鼻や口を持っている無数の木の葉、つまり社会と呼ばれるものなのだ。
 突然、人間たちは眼覚め、夢が真実であり、その恐ろしい物語が何を意味しているのかに気がつく。瞼を開くと何かの中にいることを知る。一瞬たりとも外部に出ることはない。誰もがそれを解ろうと欲して、懸命になっていたが無駄だった。なぜなら彼らは夢を見ていたのだから。映されるモニターの内部にいたのだから、しかもそのことに誰もが気ずくことなく。
 遊びのためにつくられた些細なこと、意識、選択、死、不条理、ユーモアを信じていた。そして大切なことと真実は隠されていた。それは微睡みの向こう側にあって、どうすればそれらを知ることができよう。遮るカーテンから解放されたまえ。突き抜けて物の向こう側を、今こそ視ることができる時が。
 他人の力である記号、あらゆる従順な細胞にとっての記号、盲人たちの記号、同じことをして、同じことをいっている、同じような虫螻たちにとっての記号。一瞬立ち止まって、周囲を眺める人にとって、突如、世界は暗闇になる。しばらくの間、一定の空間の中で、彼は終りなき建築しか視ていない。
 さて広場、地下室、路地、計算機には多くの暴力、美、情熱が存在している。コンクリートやガラスの内部から生まれた、理解できぬ法則、世界の親方たちが予知しなかった法則、運動がある。自由の力は無敵で恐ろしい。それゆえに、解放されたまえ。あなたのその視線で、視線の親方である奴らを殺してしまえ。(『巨人たち』 ル・クレジオ (新潮社1973)より)
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作家は様々な変貌をする。
『調書』『発熱』『愛する大地(テラ・アマーダ)』『大洪水』『物質的恍惚』『逃亡の書』『巨人たち』といったル・クレジオの著作には、過剰なほどの変貌彷徨が急速度で描かれる。現在の品行方正な格調高い、透明純粋な文体よりも、ロートレアモンを彷彿させる鋭い眼差にあったクレジオへ関心いだく読者も多いだろう。
J.M.G.Le Clezio《Tresor》[in]Petra, le dit des pierre, textes reunis par Philippe Cardinal, Actes Sud
http://susuzuki.dip.jp/jica/report1/ptra1.htm
今日は古代史のほんの始まりにすぎない。地上にはいくつもの大いなる動きがある。誕生の大いなる動きが、痙攣が、矛盾がいくつもある。生命は絶えずその全ての壁から外に出ようと努めており、大気のほうへととその道を掘り進んでいる。
永遠なビルの数々。永遠な道路の数々。永遠な空港の数々。千世紀のあいだ燃える焔。白い空には嵐の響きをたてる大きな鳥たちが速くよぎる。実にたくさんの形がある。美は地上に均衡を保っており、その透明なハーケンの数々を打ち立てている。

いかつい山々は歩く人達の足元にその深淵をうがとうと望んでいる。道路は絶えまなく轢かれ押し潰されることを欲している。海は気管を突破ることを求めている。そして宇宙空間のなかには星々に空虚の螺子をしめつけ物質の点滅を窒息させようという恐るべき意思がある。
ネオンの稲妻が娘の顔の周りできらめく。やがて彼女の皮膚の穴を穿つ、やさしい目鼻立ちをした顔を灼く。動物のものであるその長い髪を縮まらせるのだ。
きつい光線が電球から絶えず迸る。ガラス球の中では白熱したフィラメントが輝いている。そいつは戦争の眼差し、情け容赦もない目であって、部屋のもろもろの表面を眩く光らせ、映像を不透明な看板の上に定着する。
『戦争』J.M.G.ル・クレジオ(1970年)より

『愛する大地』ル・クレジオ (1968)目次
   たまたま地上に ぼくは生まれた 
   生ける人間として ぼくは大きくなった
   デッサンの中に閉じこもって 
   日々が過ぎた 夜々が過ぎた
   ぼくはああした遊びをみなやってみた 
   愛された 幸せだった
   ぼくはこうした言葉をみな話してみた 
   身ぶりを入れ わけのわからぬ語を口にして 
   それとも無遠慮な質問をして
   地獄にそっくりな地帯で 
   ぼくは大地に生み殖やした
   沈黙にうち克つために 
   真実のすべてを言いつくすために
   ぼくは涯てしない意識のうちに生きた 
   ぼくは逃げた そしてぼくは老いた
   ぼくは死んで 埋葬された
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Jean Marie Gustave Le Clezio
1940.4.13- 1940年,地中海岸のニース生まれ.父方はブルターニュからインド洋モーリシャス島に移住した家系で,19世紀 初めに同島が英領となったとき英国籍に.母も同様の家系だが,パリ出身.両親はいとこ同士で,父親が医学を 学んでいたロンドンで出会った.ニースで生まれたのは偶然だが,戦時下の幼時,米独双方によるこの町の破壊 に強い印象をうけて育つ.ニース大学およびイギリスのブリストル大学で学ぶ.
1963年,『調書』で作家としてデビュー.『発熱』(65年),『洪水』(66年),『物質的恍惚』(67年)など の初期作品群を次々に発表し,ヌーヴォー・ロマン全盛期の首都からは距離を置いた独自の作家的地位を築く. ロートレアモン,アルトーやミショーへの関心からわかるとおり,当初は言語実験的色彩が濃厚だったが,文体 はやがて簡素・平明に.むきだしの土地,陽光,砂漠,水,動植物がおりなす物質的世界に対する異様なまでに 鋭敏な感受性に加えて,アメリカ先住民世界への深い共感を際立った特徴としている.
70年から74年にかけてパナマの密林に住むエンベラ族と暮らす.この経験から生まれた傑作エッセー『悪魔祓い』 (71年)につづいて,70年代後半からはメキシコへの傾倒を深め,ミチョアカン大学や,プエブロ・インディア ンの土地であるアメリカのニューメキシコ大学で客員教授を務めつつ,ヨーロッパによる先住アメリカ文明に対 する侵略と強奪という,人類史上もっとも大規模で残虐な破壊の歴史を考察.「チラム・バラムの書」『ミチョ アカン報告』のフランス語訳(76年,84年)を試みる一方,『メキシコの夢』(88年)に結実するエッセーを書き継いだ.
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Jean Marie Gustave Le Clezio
【J.M.G.Le Clezio】WEB
http://www.diplomatie.gouv.fr/label_france/FRANCE/LETTRES/clezio/page.html
http://www.foiredulivre.com/2003/FDL_infos_presse_visuels_ambiance.htm
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『物質的恍惚』J.M.G.ル・クレジオ

◆分かちがたく結ばれた二羽の鳥が、同じ木に住まっている。一羽は甘い木の実を食べ、もう一羽は友を眺めつつ食べようとしない。
だが、この世界は過去のものではない。この存実は、ぼくが生まれていなかったとき通用していた存実なのだ。この沈黙は遠いものではない。この空虚は無縁のものではない。ぼくがそこでは不可能だった大地は、なおも続いている。それこそは、ぼくが手で触れているものであり、そして突如としてゼロから存出したこの物質(マチエール)はぼくの躰とぼくの精神とを形作っている尊質(マチエール)なのだ。

◆ぼくが生まれていなかったとき、まだ生命の円環を閉じ終えていず、やがて消しえなくなるものがまだ刻印されはじめていなかったとき。存在するいかなるもにも!していなかったとき、孕まれてさえいず、考えうるものでもなかったとき。過去のものでもなく、存在のものでもなく、とりわけ未来のものではなかったとき。ぼくが存在することができなかったとき。眼にもとまらぬ細部、種子の中に混じり合った種子、ほんの些細なことで道から逸らされてしまうに足りる単なる可能性だったとき。ぼくか、それとも他者たち。"か、女か、それとも馬、それとも樅の木、それとも金色の葡萄状球菌。ぼくが無でさえなかった――なぜならぼくは何ものかの否定形ではなかったのだから――とき、一つの不在でもなく、一つの想像でもなかったとき。

◆ゆっくりと、伸び伸びと、力其く、無縁の生命はその凸部を膨らませて、空間を満たしていた。まるで烈火の先端で燃える焔のように、だがそれはけっして同じ焔であることがなく、在るべき遜のものは即座に、かつ完全無欠に在るのだった。存在の数々は生まれ、そして消えていった。絶えず分割され、空虚を満たし、時を満たし、味わい、そして味わわれていた。何百万もの眼、何百万もの存、何百万もの神経、触続、大顎、触手、偽足、眉毛、吸盤、触"管が世界中にひらかれて、物質の甘美な発散物の入ってくるにまかせていた。いたるところにあるのはただ、戦慄、波動、振動の数々だけ。だかそれでも、ぼくにとっては、それは沈黙であり、不動であり、夜だった。麻酔だった。なぜならぼくの真実が住まっていたのは、このはかない伝達の中にではなかったからだ。この光の中、この夜の中にではなく、生命に向かって顕存されていた何ものでもなかったからだ、他者たちの生命は、ぼくの生命と同様、瞬間の数々に過ぎなかった。世界をそれに返す力のない、束の間の瞬間の数々に過ぎなかった。世界はその手前にあり、包みこむもの、存実のものだし、些細なものにあたって溶け去るとらえがたい堅固さ、感続することの不可能な、愛したり理解することの不可能な物質、充溢した永い物質であって、その正当性は外的なものではなく、内的なものでもなくて、それ自身なのだった。

◆外側にある世界、覆すことはけっしてできまい世界、まるで巨大な縁日さながらに。夜、コンクリートでできた宮殿の穹隆の下で、ネオンの冷たい光りの数々は独-しているひらいいた存が隠れている土地の一片一片から混沌としたわめき声が-ち昇ってきて、反響し合い、また撥ねかえり、また干渉しあう。・・・もうすでに、観客でいることはできなくなっている。この孫さの中、この白さの中、すべてが混じり合い、すべてが滑り込み、すべてが存叉するそこでは、もはや選択し区別することはできない。住処とする領域のほうへと流れてゆかねばならず、理屈をこねも話しもしない怪物にこうやって呑み込まれるがままにせねばならぬ。自分の皮膚、魂、国語を棄て、そしてまだ生まれていない者にふたたびならねばならぬ。

◆この呪いには打ち勝ちえない。それは生命よりも其いのだ。生きた細片の一つ一つの裏側には、じつに広大な砂漠と放棄とがあって、それらを忘れ去ることは不可能である。それはまるで夢の損い出のようなのだが、それを生み出した夜は終わってはいない。

◆ぼくが死んでしまうとき、"り合いだったあれら物体はぼくを憎むのをやめろだろう。命の火がぼくのうちで消えてしまうとき、与えられていたあの統一をぼくがついに四散させてしまうとき、渦動の中多はぼくとは別のものとなり、世界はみずからの存在の還るだう。・・・・もはや何ものも残らないことだろう。ぼくがあっただろうところのものの彼方に運ぶような傷跡一つ、損い出一つ残りはしないだろう。
そして・・・いつの日か(その日は必ず来るのだが)世界からは人間の姿が見えなくなるだろう。人間の文明や征服の数々は人間と共に滅びてしまっているだろう。人間の信仰、疑惑、発明などの数々は消え失せていて、もはや人間のものは何一つ残っていまい。他のたくさんの事物が生まれ、そして死んでゆくだろう。他の生命形体の数々が姿を存わし、他の考えの数々が流通することだろう。 そして、そのあと無定形の存在の共同体のうちにふたたび統合されてゆくのだ。それでも世界はつねに存在するだろう。それでもつねに何ものかがあることだろう。およそ考えうるかぎり遠い時間と空間との賊にも、なおも物質、消えることのない全的物質の存存があるだろう。

『物質的恍惚』 ル・クレジオ、豊崎光一訳 (新潮社1971)より
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『大洪水』ル・クレジオ

初めに雲があった。風に追いたてられながらも、山脈によって水平線にすがりつく、暗雲の群れがあった。あらゆるものは重く佇み、残光を散らせたりしながら、メタリックな薄い鱗のように整然と覆われていた。近づきつつある事件の異常さに圧倒され、やがて戦いを挑まなくてはならぬ者との対比の中で、おかしげに弱々しく煌めき始めた。運動はわずかずつされる転調の様式をやめない。大地を微少に蝕み、腐敗させ、活動の内部へ染みこんで、かつて多種多様に確立されてきた調和を破壊し、物質の核心に生命の起源まで無力してゆく。永遠に継続される固定化や、全体的な凍結を遅らせるために消耗してしまう。繊細な薄い影は、景色を覆いながら眩い光の形を無数に紡ぎ出す。歩道沿いにタンクローリーが潰していった硝子の破片は、太陽をいくつか合わせた激しさで、辺り一面の空間へ百光年のエネルギーを反射しているかのようであった。
          A A A A
          A A A A
          A A A A
          A A A A

すべての物体、すべての原子は A と書かれている。あらゆる出来事、あらゆる構造が、そこでは魔術的な四角形を描いている。(『大洪水』ル・クレジオ/導入部より)
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「生の中に遍在する死を逃れて錯乱と狂気のうちに太陽で眼を焼くに至る13日間の物語」
「読者が"大洪水"を読むにつれて、生と死の間の境界が取 り払われ、生の中に死を見出すようになるのは正にル・クレジオの偉大な才能による。ル・クレジオが筆を進め、ベッソンが嵐の真只中を歩きまわるにつれて、 読者はいつのまにか海と風のリズムと一体化している自分を発見するであろう」(アンリ・エル)

ヌーベルヴアーグの色彩感覚があふれて、J.L.ゴダ−ルの映像を想起させられた方もいるだろう。太陽への眼差し、記号化されてゆく景色は、 南仏に降り注がれた紫外線が描く世界だ。
この小説が書かれたのは1965年頃で、ゴダ−ルが「気違いピエロ」を撮影していた年代にあたる。地方工業都市で過した私は、生産性という物量が蔓延るという最先端テクノロジーに侵略される風景を何も批判する力ないまま育ちました。もっと従順にも電子工学を学ぶことがいいという、科学がららら大好き少年だったのだから致し方ありませんが、ルクレジオによる小説を越えた物質世界の神話的な描写にとり憑かれてしまいました。改行すれば言葉が詩になったり歌詞に変換されたりするというものへの反抗からも、非常に美しいタイピングが聞こえそうな文体です。ロートレアモンが連打するピアノのように。





JMG.Le Clezio フランスのサイト
http://www.multi.fi/~fredw/


Jean-Marie Gustave Le Clézio
(souvent abrégé J.M.G. Le Clézio)
est un écrivain français né le 13 avril 1940 à Nice.


Le Clézio est originaire d'une famille de Bretagne émigrée à l'île Maurice au XVIIIe siècle (son père était chirurgien dans l'armée britannique en Afrique). Il a poursuivi des études au Collège littéraire universitaire de Nice puis est devenu enseignant aux États-Unis.

Malgré de nombreux voyages, J.M.G. Le Clézio n'a jamais cessé d'écrire depuis l'âge de sept ou huit ans. Il devint célèbre lorsque parut le Procès-Verbal, pour lequel il reçut le Prix Renaudot en 1963, après avoir manqué de peu le Prix Goncourt.
Depuis, il a publié plus de trente livres : contes, romans, essais, nouvelles, deux traductions de mythologie indienne, ainsi que d'innombrables préfaces et articles et quelques contributions à des ouvrages collectifs. Dans son œuvre, on peut distinguer assez nettement deux périodes.
De 1963 à 1975, les romans et essais de Le Clézio explorent les thêmes de la folie, du langage, de l'écriture, avec la volonté d'explorer certaines possibilités formelles et typographique, dans la lignée d'autres écrivains de son époque (Georges Pérec ou Michel Butor). Le Clézio a alors une image d'écrivain novateur et révolté qui lui vaut l'admiration de Michel Foucault ou Gilles Deleuze.
À la fin des années 1970, Le Clézio opère un changement dans son style d'écriture et publie des livres plus apaisés, à l'écriture plus sereine, où les thèmes de l'enfance, de la minorité, du voyage, passent au premier plan. Cette manière nouvelle séduit le grand public. En 1980, Le Clézio fut le premier à recevoir le Prix Paul Morand, décerné par l'Académie française, pour son ouvrage Désert.
Plus tard, en 1994, il fut élu plus grand écrivain vivant de langue française.[1]
Il est aussi un amoureux de la culture Coréenne.[2]


  [ Bibliographie]
Le Procès-verbal, Gallimard, « Le Chemin », Paris, 1963, 250 p. Prix Renaudot
Le jour où Beaumont fit connaissance avec sa douleur, Mercure de France, L'écharpe d'Iris, Paris, 1964, [n.p.]
La Fièvre, Gallimard, « Le Chemin », Paris, 1965, 237 p.
Le Déluge, Gallimard, « Le Chemin », Paris, 1966, 288 p.
L'Extase matérielle, Gallimard, « Le Chemin », Paris, 1967, 229 p.
Terra Amata, Gallimard, « Le Chemin », Paris, 1967, 248 p.
Le Livre des fuites, Gallimard, « Le Chemin », Paris, 1969, 290 p.
La Guerre, Gallimard, « Le Chemin », Paris, 1970, 295 p.
1970 : Lullaby
Haï, Skira, « Les Sentiers de la création », Genève, 1971, 170 p.
Mydriase, illustrations de Vladimir Velickovic, Fata Morgana, St-Clément-la-Rivière, 1973
Éd. définitive, 1993, 62 p. (ISBN 2-85194-071-6)
Les Géants, Gallimard, « Le Chemin », Paris, 1973, 320 p.
Voyages de l'autre côté, Gallimard, « Le Chemin » , Paris, 1975, 308 p.
Les Prophéties du Chilam Balam, version et présentation de J.M.G. Le Clézio, Gallimard, « Le Chemin », Paris, 1976, 201 p.
Vers les icebergs, Éditions Fata Morgana, « Explorations », Montpellier, 1978, 52 p. (Contient le texte d'"Iniji", par Henri Michaux)
Mondo et autres histoires, Gallimard, Paris, 1978, 278 p.
L'Inconnu sur la Terre, Gallimard, « Le Chemin » , Paris, 1978, 325 p.
Voyage au pays des arbres, dessiné par Henri Galeron, Gallimard, « Enfantimages », Paris, 1978, 27 p.
Désert, Gallimard, « Le Chemin » , Paris, 1980, 410 p.
Trois villes saintes, Gallimard, Paris, 1980, 81 p.
La Ronde et autres faits divers : nouvelles, Gallimard, « Le Chemin » , Paris, 1982, 235 p. (ISBN 2-07-021395-1)
Relation de Michoacan, version et présentation de J. M. G. Le Clézio, Gallimard, « Tradition », Paris, 1984, 315 p.-[10] p. de pl. (ISBN 2-07-070042-9)
Le Chercheur d'Or, Gallimard, Paris, 1985, 332 p. (ISBN 2-07-070247-2)
Voyage à Rodrigues, Gallimard, « Le Chemin » , Paris, 1986
Le Rêve mexicain ou la pensée interrompue, Gallimard, « NRF Essais », Paris, 1988, 248 p. (ISBN 2-07-071389-X)
Printemps et autres saisons, Gallimard, « Le Chemin » , Paris, 1989, 203 p. (ISBN 2-07-071364-4)
Sirandanes, Seghers, 1990, 93 p. (ISBN 2-232-10327-7)
Onitsha : roman, Gallimard, Paris, 1991, 250 p. (ISBN 2-07-072230-9)
Étoile errante, Gallimard, Paris, 1992, 339 p. (ISBN 2-07-072650-9)
Pawana, Gallimard, Paris, 1992, 54 p. (ISBN 2-07-072806-4)
Diego et Frida, Stock, « Échanges », Paris, 1993, 237 p.-[12] p. de pl. (ISBN 2-234-02617-2)
La Quarantaine : roman, Gallimard, Paris, 1995, 464 p. (ISBN 2-07-0743187)
Le Poisson d'or
Gens des nuages
La Fête chantée
Hasard (suivi d'Angoli Mala) : romans, Gallimard, Paris, 1999, 290 p. (ISBN 2-07-075537-1)
Cœur Brûle et autres romances, Gallimard, Paris, 2000, 187 p. (ISBN 2-07-075980-6)
"Révolutions" : roman, Gallimard, Paris, 2003, 554 p. (ISBN 2-07-076853-8)
L'Africain, Mercure de France, « Traits et portraits », Paris, 2004, 103 p. (ISBN 2-7152-2470-2)
Ourania : roman, Gallimard, « Collection Blanche », Paris, 2005, 297 p. (ISBN 2-07-077703-0)
Raga : approche du continent invisible, Éditions du Seuil, « Peuples de l'eau », Paris, 2006, 135 p. (ISBN 2-02-089909-4)
Ballaciner, Gallimard, 2007. (ISBN 978-2070784844)

  
[Notes et références]
↑ «Le Clézio no1 , 1994, 22s. A la question «Quel est le plus grand écrivain vivant de langue française?», 13% des lecteurs du magazine Lire ont répondu Le Clézio.
http://world.kbs.co.kr/french/town/town_people_detail.htm
J.M.G. Le Clézio errances et mythologies, in Le Magazine littéraire, n° 362, février 1998


  [Liens externes]
« Le Clézio et l'Inde » http://revue.ressources.org/article.php3?id_article=796
« La faille identitaire chez les personnages de Le Clézio » http://revue.ressources.org/article.php3?id_article=801

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